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加藤清正 Ⅱ その420

『悔しがる行長』

行長は尚州で景応舜を捕虜にし、景応舜が日本語通事であることを知ると、前に顔見知りになって

いる李徳馨に和睦の意志を通ずるために保釈したのであった。

しかし、ほとんど望みはつないでいなかった。

行長公
ko.小西行長

この男は李徳馨に自分のことばを伝えないであろうし、伝えても李徳馨は話にのってこないであろ

うと思っていた。

従って、すっかり忘れていた。

忙しい戦地の生活は、望みのないことに心を繋ぎとめはしないのです。

ところが、景応舜は忠実に自分のことばを伝え、李徳馨は国王の許しを得て途中まで来ているとい

う。

その景応舜を清正の兵が殺し、景応舜は死体になってここにいる。

小西は残り惜しさがこみあげてきた。

腹が立った。覚えず、はげしい調子で言っていた。

「この者はこの戦さを和解にまとめ上げるためにも最も大切な人物でござった。それを貴殿の兵は

むざむざと殺したのですぞ。ああ、何たること!」

こんな調子に言われて、清正も腹を立てたが、おさえた。

「誤解なさらないでいただきたい。これはことさらに殺したのではなく、逃走を企てたゆえ、止む

をえず殺したのです」

「それでも、殺されてしまわれた。最も重要な人物であったのに」

「殺したことは否定はいたさぬ。だからこそ、こうして参っている」

と言ってひらきなおった。



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robin 20240229




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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加藤清正 Ⅱ その419

『行長の立場』

清正が朝鮮装をした死体を担がせて来て、御意を得たいことがあると申し入れたと聞いて、小西は

何か面倒になるという予感があった。

『はて、なんのことで来たのであろう』

とおもいながら、対面した。

小西行長公
ko.小西行長 003

清正は委細を語って、死骸を見せた。

小西が釜山で遮二無二戦争をしかけて上陸し、急進また急進して京城まで入って来たのは、はじめ

の談判過程において、秀吉の口上をそのままに朝鮮側に伝えず、朝鮮側の言い分をとりつくろって

しか秀吉に報告しなかったことが暴露するのを恐れたからであった。

しかし、ここまで戦争を続け、ここまで入って来れば、もう大丈夫である。

釜山以来の既成事実の積み重ねが、開戦前の談判過程のことなど押しつぶしている。

暴露の心配はないと思ったのです。

そのうえ、彼は日本を離れる前から、くれぐれも石田三成から

「出来るだけ早く和議に持って行くようにしてもらいたい。この戦は決して豊臣家のためにならな

い。殿下の老いの一徹をとどめ申すことの出来なかったのは残念であるが、この際としてはいたし

方はない。和議が早ければ早いほど良いことは十分に含んでおいてくれるよう」

と言われているのです。



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robin 20240228




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加藤清正 Ⅱ その418

『景応舜は射殺される』

中富は士分の者ひとりを選び、兵を3人付けて、本陣に送って行くように言いつけた後、自分はさ

らに巡回を続けることにしたが、別れて一町ほども行った時、後方でつづけさまに銃声が2発聞こ

えた。

hi.火縄銃 04


急ぎ、馬を返し急行すると、先刻の村から小半町行ったあたりの、道から10数間わきの藪陰から、

先刻の兵らが両手両足をかかえて死体らしいものを運び出して来るのを見た。

「どうした?汝ら、何をしているのだ!」

中富は絶叫しながら、土煙を立てて、畑の中を真っすぐに疾駆して行った。

てっきり、めんどうがって射殺したに違いないと思ったのです。

兵らは死体をかかえたまま、立ち止まっていた。

「どうしたのじゃ!今の鉄砲は汝らじゃろ!」

どなりながら、すさまじい顔で馬を飛び降りた。

士分の者がきっと顔を上げ、口をとがらせて答えた。

「こいつ、逃げようとしたのでござる。あの土手のところまで来ると、にわかに便がしとうなった

というので、許して、見張りもつけず放しましたところ、この藪に入ったのでござるが、何やら様

子がおかしいので、駆けつけて来ましたところ、藪の向こうに抜けて走り出していました。それで

撃ったのでござる。一発目は腰をかすめ、後の一発が首を打ちくだいて、そのまま死んでしもうた

のでござる」

いつわりはないと思われた。

仕方はない。

中富は死体を持たせて、本陣に帰り、清正に報告した。

ともかくも、小西に話す必要があると思ったので、自ら小西の本陣に向かった。



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robin 20240227




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加藤清正 Ⅱ その417

『景応舜を本営に』

中富は小西に和平工作を勝手にしてよい権限が許されてあるかどうか、もちろん知らない。

しかし、景応舜の言うことは筋道が立っている。

小西行長(1555-1600年)
ko.小西行長 04

まんざらのウソではなるまいと思った。

「ともかくも貴殿を本営にお連れする。貴殿を小西殿のもとへ引き渡すかどうかは、本営で決めるで

ござる。わしには権限のないことでござる故な」

と言うと、景応舜は頷いたが、中富の目にはなんとなく落ち着きを失ったように見えた。

目つきに落ち着きがなく、顔に卑屈な表情が浮かんできたように思われたのです。

そこで、念を押した。

「貴殿がおとなしくしておられる限り、われわれは決して手荒なことはいたさぬ。軍使の礼をもって

待遇します。しかし、自儘なこと、たとえば逃走など企てなさるようなことがあれば、決して容赦し

ませんぞ。お含みおきあれ」

「わかりました」

相手はいく度も頷いた。



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robin 20240226




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加藤清正 Ⅱ その416

『日本軍は講和の意志があるのか?』

「どうなされた?」

「いや、何でもありません」

中富としては、そうでござるかでは済まされない。鋭く言った。

京城府
ke.京城府

「何でもないことはござるまい。包まずに言われよ」

「…申すも恥ずかしいことです。李徳馨殿とともに使をうけたまわった今一人の大官が、恐怖のあ

まりに死んでしまったのです」

中富は相槌も打てない。はて、さてとあきれるばかりであった。

「そこで?」

「李徳馨殿は歯がみして憤られましたが、仕方はありません。『ままよ、2人で参ろうとのこと』

と、黄州を立ち出、開城まで参りましたところ、はや日本軍は京城に入っていることがわかりまし

た。李徳馨殿は、『陛下がわしにこの使いを命ぜられたのは、京城の向こうで日本軍を停止させ、

講和の相談をなさりたいためであったのに、こうなってはそれは叶わぬこととなった。一体、日本

軍は真に講和の意志があるのかどうか、疑わしくもある。その方ひとり行って、小西殿に会って、

よく問いただしてまいれ』と仰せられたのでございます。そこで、わたくしただ一人、こうして参

ったのでございますが、はしなくも貴下に捕らえられたのでございます。」



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robin 20240225




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加藤清正 Ⅱ その415

『景応舜の説明』

景応舜の言葉はさらに続く

「わたしは小西殿の仰せられることを承諾いたしました。小西殿は書面をしたためて、わたくしに

お渡しになりました。わたくしは京城に帰りましたが、もはや国王は京城にはおられず、京城は乱

小西行長(1558-1600年)
ko.小西行長 04

民のために混乱しきっています。わたくしはすぐ国王の後を慕って、さまざまな難儀の後、やっと

黄州で追いつきました。李徳馨殿に会って、小西殿のことばを伝え、書面を渡しました。李徳馨殿

は『ともかくも、陛下に申し上げてみる。もし、陛下が行けと仰せられるなら、わしは行こう。国

のためには、死はいとうところではない』とお失せられ、もはや夜陰ではありましたが、わたくしを

お連れになって、行在所に参られた。陛下は大官方とともに、わたくしをも御前に召して、委細の

ことをお聞き取りになった後、わたくしには遠慮を仰せつけられました。定めし、ご相談が行われた

のでございましょう。数時間の後、李徳馨殿が出てまいられ、わたくしに仰せられました。『わしと

今一人とが使者を仰せつけられて参ることになった。ついては、その方も供せよ』もちろん、わたく

しはお受けしました。わたくしは、そのお二人のお支度のお支度が出来るのを待っておりましと…」

と、ここまで語ると、にわかに景応舜の表情が変わった。

いかにも苦々しげな笑いが浮かんで、言葉をとぎらせた。



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robin 20240224




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加藤清正 Ⅱ その414

『小西行長の手紙』

景応舜は思案しているように、ぱちぱちとまばたきしていたが、やがて言う。

「手短には答えることができません。少し長くなりますが、お聞き願います」

と、前置きして語り出したのは、ずいぶん長い話であった。

宇土城の小西行長公
ko.小西行長

「自分は尚州で、小西軍の捕虜になりました。行長殿は自分が倭学通事で、達者に日本語が話せ

るのを知られると、自分を前に召して、こう言われました。」

「わたしは先年日本の太閤の使節となって朝鮮に来たことがある。その時、当国の大官の李徳馨

殿と懇意になったが、徳馨殿は壮健でおられるだろうか」

自分は壮健でおられると答えました。

すると小西殿は

「一体、今度のわが国の出兵はあくまでも貴国を攻め取ろうというつもりで始まったものではな

い。太閤の意志は大明国に使を通じようというだけのことで、そのとりなしを貴国に頼んだのだ

が、貴国が疑心をはさんで承諾しないので、つこの不祥事になったのである。もし、貴国が日本

のこの願いを聞いてくれるなら、和睦は直ちになるのである。ついては、貴下を保釈するから、

京城に帰って、わしの手紙を李徳馨殿に届けてくれまいか。決して貴国のために不利になること

でないから」

と申されました。



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robin 20240223




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piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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