前田利家 その46 『文禄の役』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

【文禄の役】

10月になって、秀吉は再び名護屋城に戻ってきたが、その頃になると朝鮮戦線はこう着状態に陥っていた。

日本の水軍が敗戦して、制海権を朝鮮軍に奪われたため、兵糧や弾薬の補給が続かなくなって、飢えた将

兵が現地住民の食料を略奪したりなどしたため、朝鮮の民衆が抵抗集団を結成して、ゲリラ戦に蜂起したの

で、ついには釜山と京城との連絡すら滞るほどになっていた。

小西行長(1555?-1600年)
ko.小西行長

秀吉の意向は明国攻略にあったが、現地では小西行長がすでに明国との講和工作を進めていたが、明国

から会見の申込みがあり、独断で講和交渉を続けた。

軍勢は船着場で待機しながら酒宴に明け暮れているうち、在朝鮮の小西行長から和睦の情報が届く。

しかし、これは明国に欺かれていただけであった。

明国から講和使がやがて到着するであろうという甘い希望を行長に抱かせておいて、実際には着々と戦備

を整えているのが実態であった。

1592年12月に改元があって、「文禄元年」となった、この時の朝鮮出兵が後世に「文禄の役」と称されるの

はこのためです。

明けて、1593年正月、10万の明軍が平壌に攻め寄せた。

京城へ後退した行長は戦闘態勢を再編するも、南下して来た明軍も戦意を失い、和平提案を申し入れてき

たので、現地における講和条約の運びとなる。


初めてカメラの師匠に褒められました。(師匠のブログは、「こちら」です。)
バラ 20120609 009

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
前回の正解: 九鬼水軍
1592年から始まった文禄・慶長の役では、5月から6月にかけて李舜臣率いる朝鮮水軍の攻撃により釜山西方に展開していた水陸諸隊の被害が増えたため、7月になって脇坂安治・加藤嘉明・九鬼嘉隆の3大名が水軍を編成して対抗しています。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
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