前田利家 その54 『醍醐の花見』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

【醍醐の花見】

秀吉は外征で苦戦する朝鮮戦線には、もはや興味はないようであった。

秀吉は、3回も下見に出かけるなどして、用意周到に3月15日に醍醐で大観桜会を主催して成功させます。

それは北野の大茶の湯にも匹敵する豪遊であった。

秀吉は当日、秀頼を始め側近衆、諸大名を従えて、ひと足先に三方院にはいっているところへ、きらびやか

な女人たちの輿の列が繰り込んで来た。

da.醍醐の花見

記録によると、その輿の次第は次のとおりです。

1番 政所様(秀吉の正室ねね)

2番 西の丸様(淀殿の別称、側室茶々)

3番 松の丸様(側室京極氏)

4番 三の丸様(側室蒲生氏)

5番 加賀様(側室前田氏、利家の3女・麻阿)

6番 大納言殿御内(利家の正室まつ)

これに、それぞれ老女、侍女、女中衆が付き添っていた。

秀吉さんに呼ばれて、24年4月7日に「醍醐の花見」に行ってきました。
霊宝館 003

上の醍醐から下の醍醐へかけての広大な観桜会の会場は、たちまち華麗な雰囲気に包まれた。

これは秀吉の演出であったが、はからずも秀吉の女人に対する心優しい気配りを覗かせているところであ

った。女人たちを慰めるための花見のようであった。

側室・麻阿の生母で、利家の正室・“まつ”を輿に乗せて女人たちの行列の中に加えたことなども、秀吉の

心遣いが感じられます。

利家が秀吉にとって相談相手であるように、“まつ”も北政所・“ねね”にとっての腹心の相談相手であった

ことが伺われます。

秀吉は秀頼と北政所と多くの側室たちを連れて、満開の桜の下をゆっくり廻ったという。

“太閤はこの花見で、今年最後の春を飾ろうとしているのではないか!?”

同時に、秀吉が死期を考えているのではあるまいかという寂しい気持ちで、利家は見ていたのではないで

しょうか。


禁断の三角関係
妻、Sa-ko嬢は膨れて怒っています!
pig 20120628 001

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≪前回の解答≫
前回の正解: 宇土
小西行長は、1587年秀吉の九州征伐、翌年の肥後国人一揆の討伐に功をあげ、肥後の南半国宇土、益城、八代の20万石あまりを与えられ、宇土城を築城し本拠としていた。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
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