前田利家 その55 『利家の草津湯治』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

【利家の草津湯治】

醍醐の花見が終わると、利家は非公式に休暇を請うと、保養のため上州草津温泉に出かけることにした。

内輪の私用として、気楽に旅立つつもりであったが、豊臣政権の屋台骨を支える重鎮という立場は、そう

簡単にものごとを運ばせてくれなかった。

佐野修理から道中間に見舞いがあったし、越後の堀秀政からは、越後布の湯帷子(ゆかたびら)、行水タ

ライ、酒肴などが贈られてきた。

それどころか、伏見にいる徳川家康からさえも、湯帷子30枚、夜着、布団などが届けられ、さらに使者が

来て、

「草津は風の強い土地でありますから、お冷えになりませぬよう・・・」

という口上を伝えた。

「内輪に気楽にという訳にはいかんな」

利家は苦笑したが、時局複雑にして流動的な情勢だけに、利家には絶えず注目が集まり、あらゆる面で

上下すべてから強い関心が払われていたのでしょう。

草津温泉
自然湧出量は日本一で、1日にドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出しています。
ku.草津温泉

利家は、ひとまず領国金沢へ帰り、それから越中路を経て上州草津へ向ったが、途中、今石動で猿千代

に初めて対面している。

猿千代は、利家が名護屋に在陣中、正室まつから、身代わりとして送られて来た側室・お千世すなわち

東丸殿に生まれた男の子で、後の加賀前田家の3代目ですが、その当時6歳で守山城にいたのです。

草津に逗留中のある日、利家は突然不快感に襲われて白い液汁を嘔吐した。その件について利家は誰

にも口外しなかったが、自悟するところがあって湯治を早々に打ち切り伏見へ帰ると、利家は家督を嫡子

・利長に譲った。

伏見城へ挨拶に伺候した利家に、秀吉は人払いしてから、唐突に徳川家康の嫡子・秀忠とお江に間にで

きた千姫を、秀頼の嫁に決めたいと言い出した。

「大納言、ぜひとも千姫と秀頼の縁組を決めたい」

秀吉はせがむ語気で、熱心に執拗に繰り返した。利家は即答をさけ、ただ暗黙裡に諒解を示すように深く

一礼して退出した。



『日光東照宮』

日光東照宮はご存知のとおり、1617年徳川初代将軍徳川家康公を祀った神社です。

平成24年6月30日に、中禅寺湖・千手ヶ浜に行った際に立ち寄って来ましたので、数日かけて観察して

みたいと思います。

【石鳥居】(重要文化財)

1618年、九州筑前藩主・黒田長政公によって奉納されています。

石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれたそうです。

to.東照宮石鳥居 001 to.東照宮石鳥居 002
<クリックで拡大します>
to.東照宮石鳥居 003

ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

いつも応援ありがとうございます。

『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 豊臣秀長
大友氏滅亡寸前のギリギリのタイミングで豊臣秀長率いる豊臣軍10万が九州に到着。
さらに遅れて秀吉自身も10万の兵を率いて九州征伐に出陣、各地で島津軍を破っていきます。宗麟は戦局が一気に逆転していく中で病気に倒れ、島津義久の降伏直前に豊後国津久見で病死しています。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ