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前田慶次郎 その37 「直江状」

戦国風流武士 「 前田慶次郎 」 その37

「 直江状 」

会津不穏の報は、まず越後領主の堀家から大坂に届いた。

当時、大坂では徳川家康が大坂城の西の丸にいて、一切の政務を行っていたのです。

続いて、上杉家の重臣・藤田信吉が会津を脱出して大坂にはせ参じ、景勝に謀叛の企てありと家康に密告

した。

直江兼続(1560-1619年)
na.直江兼継 001

家康は直江兼続と親しい豊光寺の住職に命じて、兼続に手紙を出させた。

世間の噂を告げ、江戸内府も案じておられるから、異心なきにおいては早速に上杉景勝を説いて上洛させる

ようにという文面であった。

はじめから戦さする気でいるのです。

兼続は皮肉な微笑を洩らしながら、返書をしたためた。


家康の法規違反と矛盾撞着を指摘し、上洛はいたしまじく、内府がもし怒って討伐の兵をお向けあ

るなら、好むところではないが、武門の意気地としてお相手つかまろうという文面。(
直江状)


諸大名が皆、家康のことを恐れ、その機嫌を損なわないように努めていた時代に、これほどの手紙を書い

たのであるから、気宇がいかにたくましかったか判ります。

喜怒哀楽を表さない家康も、この手紙には激怒したという。

「わしはこの年になるまで、こんな無礼な手紙は貰ったことがない」

と言ったという。

そこで上杉征伐ということになります。

直ちに諸大名にふれをまわして出陣を命じ、自身も6月16日に大坂を出発した。

家康は自分が足をあげて東にすれば、必ず西にもことが起こることを知っていた。

家康にとっては東西挟撃の危難に会う訳であったが、もしこれを旨く処理すれば、この大危難はかえって

アンチ徳川勢力を一挙に打ち砕き、天下取りの機会をもたらすことになる訳であった。

家康は西を顧みながら、7月2日に江戸に入った。

sa-ko 20120925

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解:弓矢防具
母衣といい、馬を駆けると風をはらんで膨らみ、背後に長く引いて背面からの流れ矢を防ぐ役割を果たすので、馬を駆り弓を主武器とする、当時の武士の戦闘法に大鎧とともに適していた弓矢防具です。

≪本日の問題≫


                           <参考文献:戦国風流武士 前田慶次郎(海音寺潮五郎暑)>
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No title

初めまして
私も日本百名城塗りつぶし同好会に参加しているのですが
今日、登城報告をしようと思ったときに
日本百名城塗りつぶし同好会のサイトがアクセスできなく
なっていました
何かご存知でしょうか?

No title

先ほどつながるようになりました
ご迷惑おかけしました

yuuto さま

はじめまして

訪問ありがとうございます。
塗り潰し同好会の方、サボっていまして、最近更新していませんでした。

ログインできなかったとのこと、システム障害でも起こしていたのでしょうか。
私も近いうちに更新したいと思います。
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