前田慶次郎 その39 「大ふへんもの」

戦国風流武士 「前田慶次郎」 その39

『大ふへんもの』

慶次郎は、革籠ケ原への出陣に直江兼続の組に編入されたが、その出で立ちが見ものであった。

黒の具足に猿の皮で作った投頭巾をかぶり、背に金で引両筋を縫いつけ、猩々緋の広袖の陣羽織を着、金

のひょうたんを止めてつけた金の数珠を、右の肩から左の腰にかけ流し、皆朱の槍を携え、背に白しない四

半のさしものを差し、自慢の駿馬・松風にまたがるという異装であったが、その松風がまた普通ではない。

たてがみは野髪のままにして、ひたいに銀の山伏ときんをかぶらせ、朝鮮しりがいをかけていた。

馬は墨のごとき黒馬であったが、これには梨地の鞍をおき、鞍壺に鉄砲2挺をつけ、さんずに緞子の袋に糧

米干味噌を入れて“おむすび”をつけていた。

直江の組には、新たに召しかかえられた高名な浪人武者や、上杉家の譜代の臣でもクセのある荒っぽい者

を集めているが、その連中の一人が、ふと慶次郎の“さしもの”に目を付けて顔色を変えた。

ma.前田慶次郎(利益)

「おい。ちょっと見い。前田の“さしもの”だ。何と書いてあるか俺の目には、“大ふへんもの”と書いてあるよう

に見えるが」

「なにっ?」

言われた男は、慶次郎の白四半の“さしもの”を凝視した。

“四半”とは、横66cm、縦99cmの旗、“しない”というのは旗竿のことです。

縦に一行で筆太に確かに「大ふへんもの」と書かれている。

「けしからん!」

「人もなげなるふるまい」

「不識庵謙信公以来、天下の人に武士の花の本(もと)と言われている当家家中において、“大武辺者”とは

何たる“さしもの”。黙ってはおれんぞ!」

「そうとも、踏み折って捨ててくれべい!」

一同顔色を変え、馬をあおって、慶次郎のところに駆けつけ取り巻いた。

「前田殿!」

と一人がいう。

「やあ、これはお揃いで。本日は天気も快晴、そよそよと吹く風もあって暑からず、誠によき出陣日和で、ご

同慶に存ずる」

慶次郎には、この連中がなぜこんなに血相を変えて来たのかよく分っている。愛嬌よく笑って迎えた。

sakura 20120927

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解:黒田孝高
黒田長政の父は、豊臣秀吉の軍師である黒田孝高(官兵衛・如水)です。黒田父子は、九州征伐の功績で中津の大名となり、文禄・慶長の役などでも活躍しています。
特に関ヶ原の戦いで大きな武功を挙げたことから、筑前名島に52万3,000石を与えられ、福岡藩初代藩主になっています。

≪本日の問題≫


                           <参考文献:戦国風流武士 前田慶次郎(海音寺潮五郎暑)>
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