前田慶次郎 その41 「矛先を最上氏に」

戦国風流武士 「前田慶次郎」 その41

「矛先を最上氏に」

家康は、景勝よりも、三成よりも役者が数枚上であった。

彼が東に向ったのは、上杉征伐のためでなかった。

三成に、西で事を挙げさせるための誘いに過ぎなかった。

だから、小山において西方からの急報を受けると、上杉には子供の結城秀康を押さえとして残し、江戸に

引き返した。

歴史のターニングポイントといわれる「小山評定跡碑」 (訪問記は、こちら
ko.小山評定跡

上杉家の革籠ケ原のせん滅計画は画餅に帰してしまった。

家康が引き上げにかかったと聞いて、直江兼続は追撃を主張したが、景勝は容れなかった。

「武門の意気地やみ難く弓矢を以って見(まみ)えんとしたのだが、退陣するのを追っかけて行ってまで戦

おうと思わん」

と言って、白河、福島などの城々にそれぞれ守備の将を置き、会津に引き上げた。景勝は、普通の戦場で

家康と戦って勝ち目はないと判断したのかも知れません。

景勝と直江兼続は、

「東西両軍の戦いで、西軍が敗れば上杉家は天下の兵を受けて戦わなければならないことになる。四方の

国々を見渡して見ると、最上氏の本城・山形と属城東根はなかなかの名城であるから、最上氏を打ち滅ぼ

し、この両城を手に入れておこう。天下の兵を引き受けて戦う時が来たら、会津で戦い、敗れたら米沢へ引

き上げ、米沢が敗れたら山形へ引き上げてここを本城とし、諸方の城々砦々において持久戦に持込み、敵

が退屈して、引き心がついてところに決戦に出て、斬り散らしてしまおう」

9月9日、総勢4万、直江兼続が総大将となって、会津を出発し、羽前に向った。

長谷堂までの間にあった21の城砦は破竹の勢いで、攻め落としてしまった。

慶次郎は、最初の間は働いていたが、間もなくバカバカしくなったので、人々が功名を競っているのをよそ

に、丘に上がり草をしいて腰を下ろし、背中にポカポカと暖かい日を受けながら余念もなく読書を始めた。


慶次郎さんに会いたくて、今週末は米沢に行くことが決定しました♪


sakura 20121001


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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解:徳川家光
1590年、江戸に入府した徳川家康は浅草寺を祈願所と定め、寺領五百石を与えています。
浅草寺はたびたび焼失していますが、昭和20年の戦火で焼失した五重の塔は、3代将軍徳川家光の援助により、1648年に五重塔、1649年に本堂が再建されています。

≪本日の問題≫


                           <参考文献:戦国風流武士 前田慶次郎(海音寺潮五郎暑)>
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