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米沢での直江兼続 その2

『米沢での直江兼続』 その2

その後は徳川家に忠誠を誓い、大阪の役にも参陣し「鴫野の戦い」などで武功を挙げています。

上杉家と徳川家の融和を図るため、徳川家重臣本多正信の次男・政重を兼続の娘の婿養子にして交流を

持ち、1609年にはその正信の取り成しで10万石分の役儀が免除されるなど、上杉家に大きく貢献してい

る。のちに政重との養子縁組が解消された後も本多家との交流は続いた。

1619年5月から9月にかけて景勝が徳川秀忠に従って上洛した際、兼続も病身ながら景勝に従った。

しかし、無理をしたため、江戸に帰ってからは病床に臥して立つこともかなわなかったという。

1619年12月19日、江戸鱗屋敷(現:警視庁)で病没、享年60歳。



【戦いに備えて】

兼続は町づくりとともに、万が一に備え、人里離れた吾妻山中で鉄砲製造に着手します。造られた鉄砲は

1000挺あまりにのぼるといわれています。この鉄砲は「大阪冬の陣」で大活躍しました。

また、各寺々に奨励した「万年塔」と呼ばれる墓石は、戦の際に積み上げれば防護壁になるようにとの考

えから造られました。米沢のお寺には、今でも数多くの「万年塔」が残されています。

万年塔
万年塔 001



【文武兼備】

景勝のもとで戦略家として活躍した兼続は、文化人としての才能も発揮しています。米沢市に隣接する高

畠町にある亀岡文殊堂には、兼続が作った和歌や漢詩が残されています。

また国内をはじめ、中国や韓国の貴重な本の収集家としても有名で、宋判の「史記」「漢書」「後漢書」

(国宝)や、唐時代の医学書「備急千金要方」(重要文化財)も兼続のコレクションです。

このほかにも朝鮮出兵の際に持ち帰ったといわれている「山谷詩集」などの数種の朝鮮古活字本が残って

います。



【学問の奨励】

兼続は臨済宗の寺院「禅林寺」(現法泉寺)を創建し、米沢藩士の子弟を教育する学問所としました。そこ

は「禅林文庫」と呼ばれ、兼続が集めた書籍が納められました。この学問奨励の精神は、後に上杉鷹山公

が創設した藩校興譲館へと受け継がれています。

法泉寺
法泉寺 001



【豊臣政権から徳川政権へ その狭間の中で】

関が原の合戦後、徳川家に忠誠を誓った上杉家でしたが、さらに結びつきを強固にするために、兼続は家

康の懐刀といわれた本多正信の息子、本多政重を長女お松の養子に迎えました。

家康が征夷大将軍となり、世の中は安泰に納まっているようにみえましたが、ついに豊臣家の滅亡のとき

が近づいていました。

兼続は内政に奮闘するかたわら、上杉軍を引き連れて「大阪冬の陣」に参戦します。

ここでも、おおいに武功を挙げ、徳川家の勝利に尽力しています。

「大阪冬の陣」終結の翌年、1616年家康は73歳で死去。天下は徳川幕府のもと、本当に安泰な時代を迎

えました。

その3年後、の1619年12月19日、体調を崩していた兼続は、江戸桜田の鱗屋敷で生涯を閉じました。

享年60歳

直江兼継(1560-1619年)
na.直江兼続 002



【林泉寺(直江兼続夫妻の墓所)】

林泉寺は今から約500年前、長尾景虎(後の上杉謙信)の祖父長尾能景が父重景の菩提を弔うために、

越後国高田に建立されました。

その後、上杉家を相続した謙信によって上杉家菩提寺となり、1601年、上杉景勝の米沢30万石減封に

よって、林泉寺も米沢に移っています。

境内には景勝の正室菊姫(武田信玄の娘)や鷹山の側室お豊の方など、歴代藩主の奥方や子女の御廟

があります。

そして、ひときわ目立つ場所にあるのが直江兼続夫妻のお墓です。

夫婦の墓所としては珍しく、夫と妻が共に同じ大きさの墓となっています。

直江夫婦は仲睦まじかったと伝承にもあるように、長い時を経た現在も、二人は共に寄り添って眠っていま

す。

林泉寺
林泉寺 001

直江夫婦の墓
林泉寺 002 林泉寺 003



【上杉家廟所】

歴代上杉家藩主の妻子が葬られている墓地です。林泉寺の南の一角に上杉家墓所として門と柵で仕切られ

ています。

歴代藩主は御廟所へ葬られています。(上杉廟所は、「こちら」です)

上杉家廟所
林泉寺 004

案内と景勝の正妻・菊の墓
林泉寺 005 林泉寺 006



【武田信清の墓】

上杉家墓所のすぐ隣にある、武田信清の墓です。

武田信玄の6男である信清は武田家滅亡後、姉・菊姫が嫁いだ上杉景勝を頼って越後にきました。上杉景勝

は上杉家の義を重んじ、信清を迎え入れました。

上杉家歴代墓所のすぐ隣に墓所があることから、武田家を重んじた事がうかがえます

林泉寺 007

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解:本多正信
答えは今日の記事でしたね。
兼続は上杉家と徳川家の融和を図るため、徳川家重臣本多正信の次男・政重を兼続の娘の婿養子にして交流を持ち、のちに政重との養子縁組が解消された後も本多家との交流は続いています。

≪本日の問題≫

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テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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☆S さま

いつもありがとうございます☆

慶次郎さんを訪ねての米沢の旅でしたけど、米沢の街は兼続さん
一色でした。^^
リーダーが素晴らしいと、街も会社も発展しますよね♪

戦国武将に興味を持って頂き、ありがとうございます☆
あっ! 米沢の慶次郎さんを未だ記事にしていませんでした><
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