秀吉が何度も姓氏を変えた理由って?

『 秀吉が何度も姓氏を変えた理由って? 』

豊臣秀吉は出世魚のごとく、立身出世をする度に名を変えたことで知られています。

よく知られているのは、木下→羽柴→豊臣ですが、実際は秀吉の「姓氏」は4度変わっています。

その変遷は、木下→羽柴→平→藤原→豊臣です。

これだけ「姓氏」が変わったのは、秀吉が農民の子から関白までという、貧しい身分から高い身分への大出

世を果たしたからです。つまり、秀吉はレベル1からレベル5まで、トランプの大貧民のような大出世を成し遂

げた訳です。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉

レベル1の「木下」を秀吉が実際に名乗っていたかは不明です。農民出身者が姓氏を持つこと自体に疑問が

ありますが、秀吉の妻・“ねね”の実父が木下氏であったことにちなむ等の説もあります。

レベル2の「羽柴」は、みなさんが良くご存知のとおりですね。

時期は、秀吉が信長から浅井氏の江北3郡を与えられて大名になった時期です。

これは信長の武将・丹羽長秀と柴田勝家の2人から一文字ずつ拝借しています。秀吉特有のゴマスリだった

のでしょうね。

暫く「羽柴」が続いたのち、本能寺の変を受けて明智光秀を討伐、さらに反秀吉の勢力を一掃すると、秀吉は

「平氏」を名乗り始めています。レベル3です。

この頃から秀吉の官職は急速に上昇し、約3年間に「従五位下」から「従三位権大納言」を経て「正二位内大

臣」まで昇りつめる。

つまり、秀吉は平氏を名乗ることで、信長の正統な後継者であることを世に示そうとした訳です。

内大臣に昇任した4ヵ月後、とうとう秀吉は人臣の最高位である関白へ就任する宣下を受ける。

この時に「藤原」を名乗ったのは、藤原摂関家以外から摂政・関白に任官した前例がなかったからです。

このレベル4で終わらないのが秀吉です。

武家の棟梁として天下に号令するには「藤原」では迫力不足。かといって「源氏」を名乗るには、その出目か

らして無理がある。

そこで秀吉は、「豊臣」を考えだし、改めて朝廷から下賜されます。

関白に任官して藤原秀吉となってから、わずか3ヵ月後のことでした。この命名は独裁者秀吉の記念すべき

第一歩のレベル5です。

この「豊臣」が何に基づいているのかハッキリしませんが、秀吉特異の何かをミックスさせたのでしょうか。


ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ、教えてください。


sakura 20121027

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≪前回の解答≫
正解:太田道灌
15世紀の関東の騒乱で江戸氏が没落したのち、扇谷上杉氏の上杉持朝の家臣である太田道灌が1457年に江戸城を築城。
徳川幕府の公文書では、これが江戸城の始めとされています。

≪本日の問題≫


                             <参考文献:戦国武将への大質問(歴史の謎研究会編)>
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