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前田慶次郎 その59 「お風呂に入れず」

戦国風流武士「前田慶次郎」その59

【お風呂に入れず】

翌日の昼ごろ、風呂志願者は揃って宿舎を出て行ったが、2時間ばかり後、誠に面白くなさそうな顔で帰っ

て来た。出かける時の楽しげな様子はまったくない。

宿舎に居残っていた者らが様子を聞くと、徳川家の武士らが5、6人来て傍若無人に振る舞い、悪くすると

喧嘩になりそうであったので、早々に引き上げて来たという。

「江戸はイヤなところじゃ」

「早う帰りたいのう」

と、話はいつも嘆きになっていた。

前田まつ(尾山神社石碑)
ma.前田まつ

この日、慶次郎は叔父・利家の未亡人・芳春院(まつ)の屋敷にご機嫌伺いに行った。芳春院は昨年の関ヶ原

の戦いの2、3ヵ月前から前田家の人質として江戸に来ているのであった。

久しぶりに叔母・甥が会ったので、積もる話しが色々出て来て、夕方近くに宿舎に帰って来ると、人々の

風呂ばなしを聞かされた。

「ふうん、そうか、くだらん奴じゃな。どうだな、わしと明日もう一度行きなさらんか。もしそいつらが

いたら、追っ払って、わしらだけで伸び伸びと入る工夫があるが」

「工夫とは?」

「天機は漏らすべからず。この胸三寸にある」

慶次郎は自信ありげに笑って、胸を叩いてみせた。

慶次郎の奇策縦横は、みな知っている。行こうということになった。

sakura 29121030

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
正解:お寺の風呂
日本では仏教が伝来した時、建立された寺院には湯堂、浴堂とよばれる沐浴のための施設が作られています。これは、もともとは僧尼のための施設であったが、仏教においては病を退けて福を招来するものとして入浴が奨励され、経典も存在し、施浴によって一般民衆への開放も進んだといわれています。。
貧困層への入浴治療を目的としていたといわれる法華寺の浴堂は有名である。当時の入浴は湯につかるわけではなく、薬草などを入れた湯を沸かしその蒸気を浴堂内に取り込んだ蒸し風呂形式でした。

≪本日の問題≫


                           <参考文献:戦国風流武士 前田慶次郎(海音寺潮五郎暑)>
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