武士のマイホームはうさぎ小屋?
『武士のマイホームはうさぎ小屋のように小さかった?』
戦国時代の家の建て方は、なによりも万事実用的でした。
上級武士の従者であれば、その武士の門の脇が長屋になっていて、そこに住んだ。
城に勤める場合は、城の近くに棟割長屋があって、そこに住んでいた。この住宅は板の間と土間がある程
度で、こんなところに徒歩侍は暮らしていたのです。
馬に乗る下級武士の場合、まず馬小屋が必要になります。武士にとってなによりも大切な馬は、まさに家
族同様、同じ家の中でともに暮らしていた。
武家屋敷

気になる敷地面積は、上級武士で1000坪以上、中級武士で300~500坪、下級武士でさえ150坪程度。
これは、ゆったりとした広さで、現代に生きる私たちは羨ましい限りですね。
武士の家を訪ねると、まず門が出迎える。立派なものでは長屋門、やや簡素になって四足門、腕木門が出
迎える。
この門に続くのが板塀であったり、生垣であった。生垣にも万事物資不足した戦国の世には、実のなる木を
植えることが多かったという。
屋根の方は、藁葺き、茅葺き、板葺きであり、農家と変わらない簡素なものであった。この時代、陶土を形づ
くり、大量の薪を使って焼いてつくる瓦葺は、大変贅沢品だったのです。
このような建物でも玄関や客間は、なによりもきちんとすることが求められ、客人には礼を尽くしてもてなす
のが武士であった。
そして武士として不意打ちされても大丈夫なように、玄関や縁側の幅を広く取ったりするなど、実戦的な家
の造りにすることも忘れなかった。
畳も贅沢品でのため、客間か主人の寝室くらいにしかない。床は板敷きが普通。
暖房は居間に切った囲炉裏くらいであった。
主人の居間も、書斎、寝室、仏間などが兼用。
とにかく贅沢はできなかったのです。
台所や風呂場は剥き出しの土間、井戸は土間の近くに掘ってあると便利であった。
便所はその反対側の家の隅に設けられていた。
広い庭も実用一点張りで、ここにも実のなる木を植えたり、家庭菜園を作ったりである。
そして肥料は自給自足で調達した肥溜めから、適宜菜園に施していたのです。
夜の照明は、ロウソクなど贅沢品に手が出る筈もなく、山吹の芯などを灯心にして受け皿で燃やし、それで
明かりを取っていた。
高級な油を使えるのは上級武士の家だけで、一般の中級武士、下級武士は樹脂を多く含んだ松を燃やして
明かりとしていた。
これも事欠くことが普通であるから、結局早寝早起き、貧乏武士の家では知らぬうちに子沢山ということに
なったのです。
現代の少子化対策に、夜間は停電というのはどうなのでしょうか。

ランキングに参加しています

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いつも応援ありがとうございます。
『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
正解:宮坂考古館
米沢市の宮坂考古館に、慶次郎所用と伝わる「紫糸威朱漆塗五枚胴具足」が展示されています。
慶次郎を訪ねての旅(10月5日)で宮坂考古館に行きましたが、残念ながら補修中でレプリカが展示されていました。
≪本日の問題≫
<参考文献:戦国武将への大質問(歴史の謎研究会編)>
戦国時代の家の建て方は、なによりも万事実用的でした。
上級武士の従者であれば、その武士の門の脇が長屋になっていて、そこに住んだ。
城に勤める場合は、城の近くに棟割長屋があって、そこに住んでいた。この住宅は板の間と土間がある程
度で、こんなところに徒歩侍は暮らしていたのです。
馬に乗る下級武士の場合、まず馬小屋が必要になります。武士にとってなによりも大切な馬は、まさに家
族同様、同じ家の中でともに暮らしていた。
武家屋敷

気になる敷地面積は、上級武士で1000坪以上、中級武士で300~500坪、下級武士でさえ150坪程度。
これは、ゆったりとした広さで、現代に生きる私たちは羨ましい限りですね。
武士の家を訪ねると、まず門が出迎える。立派なものでは長屋門、やや簡素になって四足門、腕木門が出
迎える。
この門に続くのが板塀であったり、生垣であった。生垣にも万事物資不足した戦国の世には、実のなる木を
植えることが多かったという。
屋根の方は、藁葺き、茅葺き、板葺きであり、農家と変わらない簡素なものであった。この時代、陶土を形づ
くり、大量の薪を使って焼いてつくる瓦葺は、大変贅沢品だったのです。
このような建物でも玄関や客間は、なによりもきちんとすることが求められ、客人には礼を尽くしてもてなす
のが武士であった。
そして武士として不意打ちされても大丈夫なように、玄関や縁側の幅を広く取ったりするなど、実戦的な家
の造りにすることも忘れなかった。
畳も贅沢品でのため、客間か主人の寝室くらいにしかない。床は板敷きが普通。
暖房は居間に切った囲炉裏くらいであった。
主人の居間も、書斎、寝室、仏間などが兼用。
とにかく贅沢はできなかったのです。
台所や風呂場は剥き出しの土間、井戸は土間の近くに掘ってあると便利であった。
便所はその反対側の家の隅に設けられていた。
広い庭も実用一点張りで、ここにも実のなる木を植えたり、家庭菜園を作ったりである。
そして肥料は自給自足で調達した肥溜めから、適宜菜園に施していたのです。
夜の照明は、ロウソクなど贅沢品に手が出る筈もなく、山吹の芯などを灯心にして受け皿で燃やし、それで
明かりを取っていた。
高級な油を使えるのは上級武士の家だけで、一般の中級武士、下級武士は樹脂を多く含んだ松を燃やして
明かりとしていた。
これも事欠くことが普通であるから、結局早寝早起き、貧乏武士の家では知らぬうちに子沢山ということに
なったのです。
現代の少子化対策に、夜間は停電というのはどうなのでしょうか。

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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
正解:宮坂考古館
米沢市の宮坂考古館に、慶次郎所用と伝わる「紫糸威朱漆塗五枚胴具足」が展示されています。
慶次郎を訪ねての旅(10月5日)で宮坂考古館に行きましたが、残念ながら補修中でレプリカが展示されていました。
≪本日の問題≫
<参考文献:戦国武将への大質問(歴史の謎研究会編)>
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No title
上村明穂です!
今まであたしのブログに訪問してくださって、ありがとうございました♪
受験が終わるまで、
しばらくブログはお休みしようかな、と思ってます!
…とはいえ!!!
新年の挨拶とかはしたいので、
お休み中も1、2回は更新するつもりです♪
応援よろしくお願いいたします☆
今まであたしのブログに訪問してくださって、本当にありがとうございました♪
今まであたしのブログに訪問してくださって、ありがとうございました♪
受験が終わるまで、
しばらくブログはお休みしようかな、と思ってます!
…とはいえ!!!
新年の挨拶とかはしたいので、
お休み中も1、2回は更新するつもりです♪
応援よろしくお願いいたします☆
今まであたしのブログに訪問してくださって、本当にありがとうございました♪
No title
へえ武士の家とはそういうものだったのですか。
いつも拝見させてもらっています。
時代劇で見る武士の家がイメージとして植えつけられているせいで、ピンときません。昔の、特に江戸時代の生活、文化に興味が出てきたので、また勉強させて下さい。
また武家屋敷を探して見に行ってきます(*^_^*)
いつも拝見させてもらっています。
時代劇で見る武士の家がイメージとして植えつけられているせいで、ピンときません。昔の、特に江戸時代の生活、文化に興味が出てきたので、また勉強させて下さい。
また武家屋敷を探して見に行ってきます(*^_^*)
上村明穂 さま
こんにちは!
コメントありがとうございます♪
受験、ガンバッてくださいね!
高校生になられたら、タレント業の方もより一層がんばって
ください☆
たまには、ブログにも遊びにきてくださいネ。
コメントありがとうございます♪
受験、ガンバッてくださいね!
高校生になられたら、タレント業の方もより一層がんばって
ください☆
たまには、ブログにも遊びにきてくださいネ。
一生喜劇 さま
いつもありがとうございます。
武士も、私たちと同じサラリーマンだったのですよね。
特に江戸時代は戦いがなかったので、ほぼ一緒だったのかもしれません。
武士の家といったら、福井の一乗谷に復元されていますので、機会があったら
ぜひ、足を運ばれてください。
土間と板の間のみで、かなり狭かったです。
武士も、私たちと同じサラリーマンだったのですよね。
特に江戸時代は戦いがなかったので、ほぼ一緒だったのかもしれません。
武士の家といったら、福井の一乗谷に復元されていますので、機会があったら
ぜひ、足を運ばれてください。
土間と板の間のみで、かなり狭かったです。
角館?
確かに下級武士でも土地広いですね
武家屋敷の写真は角館?
武家屋敷の写真は角館?
ペコ大佐 さま
こんばんは、
いつもありがとうございます。
そうです、角館ですよ~。
田沢湖の帰りに寄りました。
確か、写真は青柳家だったと思います。
いつもありがとうございます。
そうです、角館ですよ~。
田沢湖の帰りに寄りました。
確か、写真は青柳家だったと思います。