前田慶次郎 その62 「減封で米沢へ」

戦国風流武士 「前田慶次郎」 その62

【減封で米沢へ】

上杉家の大幅な減封で、家臣らの身代もまた大幅に減らさねばならなかった。

直江兼続が32万石から6万石、甘糟備後が2万石から5千石というように、また新規召抱えの武士らはみ

んな暇をだされた。

しかし、これらの武士たちの武勇は天下に響いている連中であるから、みんな相当の高禄で全国の大名に

召抱えられた。

前田利益(慶次郎)(1533?-1612?)
ma.前田慶次郎(利益)

慶次郎も暇を申し渡されたが、長谷堂城の戦いでの働きが天下に宣下されているので、方々の大名から高

禄を以って招かれたが、みな断って、

「俺は今度の戦で、諸大名を見限った。石田が負けたと同時に、皆降参し、追従軽薄、見苦しいことである

わ。さてさて、男はひとりも無し、景勝ばかりが気に入った。始終変わらず、男を張り通しての手強い抵抗、

あっぱれな男じゃ。俺が主と頼むはこの人より外にいない。禄などいくらでも結構、このまま当家に置いてい

ただく」

と言って、5百石を貰って、米沢へ移り田舎住まいして、弾正定高(上杉4代目上杉綱憲)の代に没したとい

う。

利益の亡骸は北寺町の一花院に葬られたというが、一花院は現在廃寺となっており、当時の痕跡は残って

いません。


次回は、慶次郎が隠棲した米沢・堂森に行ってきましたので、紹介したいと思います。

sa-ko 20121104

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≪前回の解答≫
正解:陣屋
大名のうち、3万石以下の城を持たない大名は無城大名あるいは陣屋大名と呼ばれ、城の代わりに陣屋と呼ばれる屋敷を構え「大名陣屋」と呼ばれていました。

≪本日の問題≫


                           <参考文献:戦国風流武士 前田慶次郎(海音寺潮五郎暑)>
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