三成の関ヶ原 その29 「三成との友情」

『三成との友情』

もはや説得しても無駄だと悟った大谷吉継は、7月7日に三成に別れを告げて垂井に戻った。

垂井に留まること3日におよび、その間、平塚為広を使者として佐和山に遣わし、再三にわたって三成に忠言

を呈している。

が、三成が再三の忠告を聞き入れないのを確かめると、今度は吉継の心が変わってきた。

oo.大谷吉継 006

「この吉継を信頼して蜜謀をうちあけてくれた三成を、再三の忠告を聞き入れてくれないからといって、見捨て

るのは、武道の筋目に反する。かくなる上は、三成と行をともにし、死するまでだ」

と、決意を新たにしたというから、大谷吉継という武将が、いかに武道に徹した人物であるかが分かります。

この時の大谷吉継の変身を、単なる石田三成への友情や義理だけでなく、吉継もやはり三成と同様に太閤秀

吉への報恩のために、豊臣の天下を防衛するために、いつかは家康を討ちとろうと考えていたが、時期なお早

しと判断したから、3日間も熟考したすえに三成の意見に従ったのだろうと思います。

秀吉と吉継に関しては、次のような主従の関係があった。

吉継は、豊後の大友家の浪人・大谷盛治の子で紀之助と称し、近江長浜城時代の秀吉に小姓として仕え、

石田佐吉(三成)よりひとつ年上であった。

小姓から奏者を経て奉行になった経歴も三成と似ています。

しかし、秀吉が天下を平定した結果、三成は近江の佐和山で19万石4千石を領していたが、吉継は僅か5万石

を与えていなかった。

それでも吉継は不平も言わず満足していたのは、彼に年来の業病があったからなのでしょう。

その病は、年とともに嵩じていたという。

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≪前回の解答≫
正解:観音寺
鷹狩りの帰りにのどの渇きを覚えた秀吉が立ち寄り、寺小姓(三成)に茶を所望した際、寺小姓は最初に大きめの茶碗にぬるめの茶を、次に一杯目よりやや小さい茶碗にやや熱めの茶を、最後に小振りの茶碗に熱い茶を出したのは、近江国伊吹山の観音寺といわれています。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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