三成の関ヶ原 その36 「西軍の攻略」

『西軍の攻略』

西軍の作戦要領で気になるのは、西上する東軍の本隊と、美濃か尾張で遭遇戦を行うという主旨です。

東軍の総大将・徳川家康は59歳の老年で、朝鮮での戦闘の体験こそないが野戦の名人として知られ、ことに

濃尾平野は彼の独壇場であり、秀吉の大軍を敵にして一歩も譲らなかった小牧山の古戦場も、この濃尾の境

にあるのです。

駿府城の家康さん(1543-1616年)
to.家康 駿府城

この地域を決戦場として西軍が選んだことは、敵の総大将として水を得た魚のごとく闊達ならしめることで、

決して最上の作戦とはいえないのです。

ともかく、徳川家康の会津遠征を好機として、上方に兵を挙げた石田三成は家康を相手に乾坤一擲の決戦を

敢行する前に、西軍の戦闘態勢を優位に導くために、次の作戦を立てています。

1.東軍に従った細川忠興の父・幽斎を丹後の田辺城を攻めること。

2.上方における家康の根拠、伏見城を占拠すること。

3.東軍に属する京極高次の居城・大津城を攻めること。

4.西軍が伊勢・美濃方面に進出するための作戦を練ること。

5.北陸方面の情勢を有利にするための作戦をなすこと。

まず、7月18日に西軍は細川斎の籠もる丹後の田辺城攻めにかかった。

しかし、結果から見ると、この作戦が生ぬるく、まわりくどい作戦計画であった。

maro 20130117 001

ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

いつも応援ありがとうございます。


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:五大老
宇喜多秀家は、1597年からの慶長の役では監軍として渡海し、南原城攻略や全羅道、忠清道を席捲するなど活躍。
1598年に帰国し、26歳で秀吉から五大老の一人に任じられています。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

No title

マロちゃんお久しぶり、綺麗な小鳥さんになって
羽色も少し薄くなったかな?
しばらくお目に掛らない間に、すっかり成鳥になった感じですね

あず さま

ありがとうございます!

十姉妹のマロもすっかり成鳥になりました。
手乗りではないため、さえずりで癒してくれます。

一度は、室内に脱出していまい、スーパの袋をもって追いかけた
こともありますよ!
プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ