三成の関ヶ原 その41 「二股膏薬武士」

『二股膏薬武士』

大津城攻略は、西軍の戦略のうちで最も拙劣であったともいわれます。

大津城は、近江の琵琶湖の西南岸に位置し、京極高次の居城であった。

高次の妻・“はつ(常高院)”は、豊臣秀頼の生母・淀殿の妹であり、また徳川秀忠の妻・“ごう”(崇源院)

の姉にあたります。

従って、高次は豊臣氏とも徳川氏とも親密な縁族関係にあり、難しい立場でした。

京極高次(1563-1609年)
ky.京極高次 01

徳川家康は、会津遠征のため東下するにあたり、1600年6月18日に大津に宿泊したが、大坂で不慮の

事変が起きることを予測し、大津城主の京極高次を味方につけ、高次と密約を交わし、人質として高次の

老臣・山田良利を納めています。

一方、石田三成は7月17日の挙兵にあたって、大津城に朽木元綱を派遣し、豊臣秀頼と淀殿の命令だと

称して、高次に人質の提出を求め、しかも北陸方面へ出兵を命じた。

高次は、やむなく長子の熊若を大坂に送って人質とし、家臣・黒田伊予守以下約千名に命じて、大津城を

守備させ、自ら2千の兵を率いて朽木元綱とともに、北陸方面に向って出馬したが、同時に三成に挙兵計

画があることを家康に密告してます。

二股膏薬武士とは、まさにこの京極高次のための言葉です。

しかし、二股武士は、この高次に限ったことではなく、戦国時代の大名や武士は、みなこれと似た行動を

とっていたのです。

吉川広家も小早川秀秋も加藤清正も片桐且元も、みんな同じことです。

京極高次だけを責めるのは酷なことですね。

sakura 20130124 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:養源院 (養源院の記事は、「こちら」です。)
京都・養源院の本堂は、1619年に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされ、左右と正面の廊下の天井は、伏見城で最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、
血天井として知られています。
他にも、血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあります。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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