三成の関ヶ原 その42 「京極高次の寝返り」

『京極高次の寝返り』

西軍が打倒徳川の兵を挙げると、総大将の毛利輝元、副総大将の宇喜多秀家らは、みな大津城を占領し、

ここに西軍方の守備を置こうと主張。

その主旨を大津城の留守居役の黒田伊予守に伝えると、伊予守は

「われらは城主・京極高次の君命によって、この城を守備する者だ。もし開城したならば、高次公の奥方(は

つ)を、どうする気か。人質にとらないと限るまい。この上は、ただ城を死守するだけである」

と言って、西軍の要求を退けた。

大津城跡
oo.大津城

その後、前田利長が加賀の金沢に退き、北陸方面における西軍の行動が一段落をつげたのに反し、美濃

の岐阜城が東軍の先鋒部隊に8月23日に奪取されてしまった。

この敗報に接した大谷吉継らは、美濃方面に転進しようとして、京極高継に同行を求めた。

9月3日、朽木元綱は高次と出発時刻を示し合わせ、美濃に発したが、高次は大津城に帰城し、家康の直

臣・井伊直政に密書を送って、西軍を大津で阻止する決意を告げている。

これは当初から西軍に反抗することの危険を避け、西軍の指令に従っていたが、豊臣恩顧の武将派の諸

大名が、東軍の先鋒を受けたまわって西上し、一気に岐阜城を抜いた優勢さを観望し、急に行動をかえて

大津に籠城することによって、その旗幟をはじめて明らかにしたものだと思われます。

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:蛍大名
京極高次は、秀吉の側室である妹(姉との説も)・松の丸(京極)殿や、淀殿の妹である正室・初(常高院)があまりにも有名であることから、その七光りで出世したとされ、蛍大名とささやかれたという。
しかし、戦国武将としての能力も有しており、大津城の戦いでは、居城の大津城に篭もって1万人を超える西軍の大軍勢を食い止め、関ヶ原の主戦場へと向かわせなかった功により若狭一国を与えられて国持大名となっています。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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