三成の関ヶ原 その44 「大津城の陥落」

『大津城の陥落』

大津城攻めに取りかかった西軍の諸将は

「城内は糧食が豊かだから、長囲は不利であろう。急ぎ力攻めする」

と決定し、9月13日から猛攻撃を開始した。

琵琶湖上からも舟やイカダをもって、城際に肉迫している。

大津城(CG画像)
大津城籠城戦 小

夕刻には二の丸が陥落するとともに、西軍が白砲を三井寺に置き大津城を砲撃したという。

一弾が天守の2層目に命中したため、京極高次の姉・芳寿院(秀吉の側室・松の丸殿)の侍女2人が即死し、

芳寿院も一時気絶したという。

翌14日も、西軍は本丸を攻撃するも、城は容易に陥落しそうにもなかった。

城攻めの大将・毛利元康は、高野山の木食上人応其を遣わし、降伏を勧告させるも、城主・京極高次はこれ

を拒絶したが、家老の黒田伊予守が

「もはや城兵も戦意を喪失しております。といって、東軍の西上は、まだ、いつとも期待は出来ませぬゆえ、

いちど城を開き、東軍と合体できる日を待つほかはありますまい」

と述べて、高次を諌めたため高次もついに伊予守の意見に従い、9月15日の朝、大津城を出て園城寺に退

き、そこで剃髪し高野山に上がったという。

そこで、毛利元康は立花宗茂に命じて、大津の城を守備させることにしたが、この大津城陥落の9月15日が、

天下分け目の関ヶ原決戦の当日であったのですから、話にならないですね。


sakura 20130129 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:誾千代
立花宗茂は、大友氏の重臣・高橋鎮種(紹運)の長男ですが、立花道雪の強い望みにより、宗茂は実質的に立花家の家督を継いでいた道雪の娘・誾千代と結婚して娘婿となっています。
誾千代に代わって道雪から家督を譲られますが、誾千代とは険悪な仲だった上に子に恵まれず、道雪の死後程なくして2人は別居したといいます。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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鎮西第一の将が・・

いつも拝見しております。
私も歴好きな人間です。
立花勢が関ヶ原に入れば大差は無いにしても島津同様に武勇を発揮した姿が見れたと思います。
やはり関ヶ原一戦で勝負を付けた家康の力量なのでしょうか。

ユッセ さま

いつもありがとうございます!

立花宗茂に1万5千の兵を遣わし、本戦に出陣させたら展開も
変わっていた気もしますよね。

> やはり関ヶ原一戦で勝負を付けた家康の力量なのでしょうか。

所詮は、社長と係長の戦いだったのでしょうか。
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