三成の関ヶ原 その47 「西軍の作戦」

『西軍の作戦』

8月5日付けで真田父子に送った、三成書状に添えた「備え人数書」によると、西軍が東軍に対して突進する

ために、その部署を伊勢口、美濃口、北国の3方面に分けています。

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 002

1.伊勢口

  毛利輝元、宇喜多秀家、小早川秀明、長宗我部盛親、立花宗茂、毛利秀包、長束正家など7万9千8百人

2.美濃口

  石田三成、島津義弘、小西行長、織田秀信、稲葉貞通など2万5千7百人

3.北国口

  大谷吉継、木下勝俊、戸田重政、小川祐忠など3万100人


その他の守備は、

1.近江の瀬田

  太田一吉、垣見一直、熊谷直盛、秋月種長、相良頼房など

2.大坂城

  増田長盛、前田玄以、毛利秀就など

また、この8月5日付けの書状には、次のようなことを述べています。

「この三成は、岐阜中納言殿(織田秀信)と相談のうえ、尾張まで出馬する予定である」

従って、美濃の関ヶ原で決戦を交えるとは、まったく予想していなかったのです。

また、このとき三成は、真田昌幸に対して豊臣秀頼から信濃の小室・川中島・諏訪の地を与えられたこと

を報告しています。

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:武田信玄
真田昌幸は、1547年に真田幸隆の3男として生まれ、1553年に武田氏への人質として7歳で甲斐国へ下り、武田信玄の奥近習衆に加わっています。
信玄は昌幸の父・幸隆にも劣らぬ才能を早くから見抜いて、「我が眼」と称して寵愛したといいます。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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