三成の関ヶ原 その48 「真田昌幸への書状」

『真田昌幸への書状』

三成は、さらに翌6日付けで、真田昌幸宛に10ヵ条からなる長文の書信を送っています。

明後8日に尾張表に出馬することを、岐阜中納言(織田秀信)と相談するから、心配しないこと。

佐和山城には筑紫衆を残しておき、用事ありしだい出陣する予定であること。

尾張表へは、昨日すでに吉川広家・安国寺恵瓊・長束正家らが進発したが、毛利輝元は家康が西上して

遠江の浜松まで来たとき、伊勢まで出陣する筈であること。

などを告げている。

信濃上田城 (pigletの上田城攻めは「こちら」です。)
ue.20100529 上田城 009

この書状には、三成の打倒家康作戦にたいする強い決意を述べた文脈があります。

「内府(家康)が、会津(上杉)と佐竹を敵にまわし、わずか3万か4万かの人数を持ち、その分国に15の城

をいだき、しかも、20日もかかる道程を西上することが出来るだろうか。

道筋にいる大名衆や、今度、家康について東下した上方の大名衆が、いかに内府(家康)の命令のままに

動くとしたとて、20年来うけた太閤さまの御恩をば、内府の1年この方の懇切と引きかえ、秀頼さまをないが

しろにし、大坂に人質にされている彼らの妻子まで捨てて、内府と行動を共にすることができるであろうか。

そのうえ、内府は最近それらの大名衆に対して、それほど入魂でもないと聞いている。以上のような分別も

なくて、内府の配下1万と、上方の大名衆の軍勢2万ばかりが、同意して西上して来たとて、当方としては、

これらを尾張と三河の中間で討ち取らんことは、実に天の授けといってよかろう。それゆえ、会津と佐竹と貴

殿(真田昌幸)は、関東へ堂々と乱入あるべしと存ずる」

と、いうのであった。

sakura 20130305 001

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≪前回の解答≫
正解:行政を担当する者がいなくなるから
三成は検地での働きから、秀吉が九州に33万石の領地を与えようとしたところ、三成は自分が九州の大名になってしまうと大坂で行政を担当する者がいなくなり国政に支障が出る、という理由で加増を断ったそうです。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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