三成の関ヶ原 その55 「小山会談(小山評定)」

「小山会談(小山評定)」

家康は熟慮した末に、井伊直政の積極策を採用するとともに、本多正信の慎重策をも併用しようと決意した。

さっそく秀吉恩顧の客将たちを集め、先ず近臣に命じて、次のようなことを言わせた。

「石田や大谷らは、会津の上杉と共謀し、宇喜多・毛利らをさそい反乱を起こし、貴殿らの妻子を捕らえて大

坂城に人質としようとしているとのこと。もし、貴殿らのうちに妻子の命を救い、石田らの反乱を助けようと思う

ものがあるならば、直ちにこの場から立ち去れよ。この家康としては、少しも恨みとは思わぬ」

といわせた。

井伊直政(1561-1602年)
ii.井伊直政

すると客将の福島正則・黒田長政・細川忠興・加藤嘉明らは、人質を捨てるべきか否かを相談したが、この

とき上杉入庵(義春)が、

「妻子を大坂に置いたのは、故太閤殿下の幼君・秀頼公に異心のない証拠を見せるためのものであって、

石田らのために置いたのではない。それを今、石田らが横合いからこれを奪おうとするのは、彼らのよこし

まな企てによるものだ。だから、妻子を捨てて内府どの(家康)に味方する方が正当である」

と主張した。

これを聞いて、諸将もその意見に同意したが、さらに福島正則が進み出て

「もし、内府どのが豊臣家の幼君・秀頼公に対して異心をいだかないというならば、我らは内府どののため

に先駆けして、石田を討伐したい。妻子など今さら顧みるところではない」

と、その決意を披露した。

そこで、黒田長政以下10余人の武将たちが、みな正則の意見に賛同して、連署の誓書を家康に提出した

という。

ume 20130320 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:三河一向一揆
本多正信は、はじめ鷹匠として徳川家康に仕えていましたが、1563年に三河一向一揆が起こると、一揆方の武将として弟と共に家康に敵対し、徳川氏を出奔して大和国の松永久秀に仕えています。
その後、諸国を流浪し、帰参時期は定かではありませんが、最も遅くとも本能寺の変の少し前には帰参していたようです。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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