三成の関ヶ原 その58 「美濃は西軍に属していた」

「美濃は西軍に属していた」

これから福島正則らが進撃しようとする美濃の国は、東海・中山両道を抱する要衝であり、多数の城塞があ

った。

岐阜城 (岐阜城登城記は「こちら」です。)
gi.岐阜城 002

そのうち西軍に属するものは、織田秀信の岐阜城をはじめ加藤貞泰の墨野城、杉浦重政の竹ヶ鼻城、高木

盛兼の高須城、原勝胤の太田城、関一政の多良城、武光忠棟の長松城、竹中重門の岩手城、丸茂兼利の

福束城、伊藤盛正の大垣城、木村勝正の北方城、稲葉通重の清水城、佐藤方秀の上有知城、稲葉貞通の

八幡城、遠藤胤直の犬地城、川尻直次の苗木城、田丸忠昌の岩村城であった。

一方、東軍に所属するのは、徳永寿昌の松之木城、市橋長勝の今尾城、西尾光教の曽根城、遠藤慶隆の

小原城、妻木貞徳の妻木城などであった。

つまり、美濃方面は概ね西軍方の大名の居城であったのです。

岐阜城主・織田秀信は、信長の嫡孫ということで世に知られ、秀信も家康から会津遠征に従軍することを命

じられ、7月1日を出発の日と決めていたが、行軍装備に華美をこらそうとして、その用意に日時を費やし、

期日に遅れているのであった。

これは秀信が平素から武備を怠り、遊情に浸っていたといわれ、信長の嫡孫として見合わない武将であった。

これに目を着けた三成は使者を岐阜に遣わし、秀頼の名によって、美濃・尾張の領国を加増するからと称し

て、これを誘ったという。

そのため、織田秀信は8月中旬ごろ6千5百人の部下とともに、西軍に属していたのです。

sakura 20130226 001

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≪前回の解答≫
正解:松山城
加藤嘉明きは関ヶ原の戦いの功により、伊予松山20万石に加増移封され、松山城の建築を開始しています。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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