三成の関ヶ原 その65 「あわてる三成」

「あわてる三成」

西軍の参謀石田三成は、沢渡で岐阜城が陥落したのを知ると、島津義弘を墨股から招き、小西行長とともに

今後の作戦について相談した。

その時、合渡での敗報が届き、三成は直ちに大垣に退却しようとした。

島津義弘(1535-1619年)
sh.島津義弘

しかし、義弘は墨俣にいる島津部隊を撤収した後でないと退却できないといって、三成の意見に従わない。

三成は義弘にかまわず大垣に向かって退却。

義弘もしかたないので、伝令を馳せて墨俣にいる島津部隊に退却を命じた。

幸いにも東軍が来攻しなかったので、島津部隊も無事に引き上げることができたという。

一方、東軍先鋒部隊の諸将は、岐阜付近の戦闘が一段落を告げたので、8月24日、全軍を大垣の西北5km

の地点にある赤坂付近に集結させ、翌25日には、岡山に家康の本営を用意し、その来着を待っている。

この時、赤坂付近に集結したのは、家康のきかに属する松平忠吉、井伊直政、本多忠勝などのほか、織田

有楽(長盛)、藤堂高虎、京極高知、筒井定次、黒田長政、金森長近、同可重、加藤嘉明、細川忠興、福島

正則、山内一豊、浅野幸長、生駒一正、池田輝政、有馬豊氏などの諸部隊であった。

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ume 20130312

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:皎月院
三成の正妻は、皎月院(こうげついん)ですが、当時政権の中心にあった三成の妻であるにもかかわらず、逸話などはほとんど残っていないようです。
皎月院と真田昌幸の正室・山手殿は姉妹なのですね。ご存知でしたか?
三成からは、皎月院は「うた」と呼ばれていたそうです。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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No title

 おっ。島津義弘が登場しましたね。

再起(せき)SR400 さま

こんにちは、

島津さんには、力強さを感じますね!

こんばんは

いつも拝見しています。

うさちゃんのコメント(?)が可愛くていいですね~!
楽しみにしています!

ともずみ ゆう さま

いつもありがとうございます!

こちらこそ、似顔絵を楽しませていただいています。

うさぎも個性があって、それぞれ持ち芸がちがうのですよ。♪

8****さま

そうですね。

12日まで、大きな足跡がついていますが、昨日、今日と
残っていないですね。
設定でも変わったのでしょうか。
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