三成の関ヶ原 その72 「小早川秀秋の内通」

「小早川秀秋の内通」

松尾山に陣していた西軍の小早川秀秋もまた、東軍に内通していた。

秀秋には初めから、裏切りの心があった。

小早川秀明(1582-1602年)
ko.小早川秀秋

秀秋は、秀吉の正妻・北政所の甥にあたる。一時、秀吉の養子となり、羽柴秀俊と名のり豊臣二世の候補

者とみなされることもあった。

しかし、秀吉の側室・淀殿に秀頼が生まれると、毛利家の一族・小早川隆景(毛利元就の3男)の養嗣子と

され、小早川秀秋と改めていた。

秀秋は、元来、北政所がわの武将であり、秀頼を生んだ淀殿や、これに親しい石田三成とは対立関係にあ

った。

しかし、毛利家との関係から、初めは西軍に属し、伏見城の攻撃にも参加している。

その後、大坂に戻って家康に謝罪状を送り、病気と称し近江の石部に滞在して兵を動かさなかったが、西

軍の諸将に督促されて、ようやく美濃に出陣した。

しかし、黒田長政を通じて、家康に人質を送り届け松尾山に陣取っていたという。

家康は、このことを聞き9月14日付けで秀秋に誓書を届けさせ、その忠節を褒め東軍勝利の暁には、上方

で2ヶ国与えることを約束したという。

sakura 20130325

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:千代虎
上杉謙信の幼名は虎千代、初名は長尾景虎。兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継いでいます。
のちに関東管領上杉憲政から上杉氏の家督を譲られ、上杉政虎と名を改め、上杉氏が世襲する室町幕府の重職関東管領に任命される。
後に将軍足利義輝より偏諱を受けて、最終的には上杉輝虎と名乗っています。
謙信は、さらに後に称した法号なのです。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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