FC2ブログ

『戦国英雄の性格解剖』 その2

「謙信・信玄・信長・秀吉・家康の解剖」その2

謙信の領土欲がなかったという良い例が、関東進出です。

彼が関東に進出した始まりは、関東管領であった上杉憲政が小田原の北条氏によって関東を追われて越後

に逃れ、上杉の苗字と管領職を譲って、復讐を頼んだところからです。

「よろしい、引き受けました」

と、うなずくや

「関東は関東管領の支配に属すべき土地である。おれはその関東管領になったのだから、全関東はおれの

支配下にあるべきである」

と宣言して、関東に進出した。

上杉謙信(1530-1578年)
ue.上杉謙信 001

戦争にはもの凄く強い謙信です。

たちまちのうちに関東の大部分を従えたが、肝心な北条氏に対しては、どうすることも出来なかった。

北条氏は、武力戦では謙信の敵ではないことを知っているから、備えを堅くして小田原の本城に籠もって

出てこないのです。

謙信はあせって色々と挑戦するが、北条氏は決して相手にならない。

そのうち冬が近づいて来ると、謙信は越後に帰らなければならない。雪のために本国との連絡が途絶えて

しまうからです。

ここが、北条氏のつけ目です。

謙信の旗が碓氷峠のかなたに消えるや否や、北条氏はノコノコと小田原を出て来て、謙信に従った諸大名

の征伐にかかる。

征伐されなくたって、長いものには巻かれろです。諸大名どもは風靡して北条氏に従い、全関東は北条氏

のものになってしまう。

報告は越後に届くが、深い雪に閉ざされて、謙信は身動きができない。

「卑怯な北条め! いくじなし諸大名め!」

歯を噛みつつ、毎日、大酒でも飲んでいるよりほかはなかった。

pig 20130329 001

ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

いつも応援ありがとうございます。

『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:1600年10月21日
関ヶ原の戦いは、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦です。

≪本日の問題≫


                               <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
関連記事
スポンサーサイト



テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ
検索フォーム