三成の関ヶ原 その75 「東軍・関ヶ原への進軍」

「東軍・関ヶ原への進軍」

東軍の諸部隊は、西軍の諸部隊を追って9月15日の午前3時から関ヶ原に出ていった。

その兵力は

徳川家康(約3万人)、福島正則(6千人)、黒田長政(5千4百人)、細川忠興(5千百人)、井伊直政

(3千6百人)、本多忠勝(5百人)、松平忠吉(3千人)、京極高知(3千人)、加藤嘉明(3千人)、

田中吉政(3千人)、筒井定次(2千8百人)、藤堂高虎(2千5百人)、寺沢広高(2千4百人)、生駒一正

(千8百人)、金森長近(千百人)、古田重勝(千人)、織田有楽(4百5十人)、有馬則頼(3百人)、

分部光嘉(3百人)の合計 約7万5千人であった。

関ヶ原の戦いの初期布陣図
se.関ヶ原の戦い布陣図
<クリックで拡大します>

この他、南宮山に備えたのが、池田輝政(4千5百人)、浅野幸長(6千5百人)、山内一豊(2千人)、有馬

豊氏(9百人)。

また、岡山に待機していたのが、堀尾忠氏(5千4百人)、中村一栄(4千4百人)。

曽根にいたのが、水野勝成(9百人)、西尾光教(6百人)。

長松にいたのが、一柳直盛(千人)であった。

東軍の先鋒部隊が関ヶ原に到着したのは、15日の明け方であった。

夜来の雨は止まず、濃霧がたちこめ、視界は閉ざされていたが、斥候の報告により、西軍の諸部隊が関ヶ

原の戦場を見下ろす丘陵地帯に布陣し、中山道の狭い盆地を行く東軍の進路をふさいでいるのを知った。

東軍の諸部隊は丸山から関ヶ原の西端付近に渡って展開し、霧の晴れるのを待った。

家康は、関ヶ原東南の桃栗山に本陣を据え敵情を視察した。そこから、西軍の主将・石田三成の本陣・

笹尾山までは、約4kmほどの距離である。

関ヶ原は、東西4km、南北2kmの小さな盆地にすぎない。そこで約20万人の大軍が、ひしめき合って、

死闘を展開しようとしていた。

sakura 20130401 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:5回
1564年4月、武田信玄と手を結んで越後へ攻め込んだ蘆名盛氏軍を撃破。
その間に信玄に信濃国水内郡の野尻城を攻略されたが奪還し、8月には輝虎(謙信)は信玄と川中島で再び対峙した(第五次川中島の戦い)。
しかし、信玄が本陣を塩崎城に置いて輝虎との決戦を避けたため、60日に及ぶ対峙の末に越後に軍を引いています。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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