三成の関ヶ原 その77 「西軍の面々」

「西軍の面々」

島津義弘の部隊は、両側面の戦いが激烈にあるにも関わらず平然として戦況を傍観しているので、三成は

部下の八十島助左衛門を遣わし、義弘に救援を求めた。

その時、助左衛門が馬上のままの高姿勢で、三成の命令を伝えたため、島津の将士は、その無礼をなじり、

助左衛門を罵倒した。

島津義弘陣所跡
si.島津義弘陣所跡 001

そこで、三成は自らその場に赴いて、島津隊の助力を請うたが、義弘の甥・島津豊久は

「前後左右を顧みる余裕があろうか」

といって、それを拒絶した。

三成もしかたがなく、彼の持ち場に帰ったという。

これに反して大谷継吉隊は、宇喜多隊の前面に銃撃の音や鬨の声が起こるのを聞くと、ただちに関の藤川

を越えて前進し、藤堂・京極・織田などの諸隊の攻撃を防ぎ、奮戦し敵軍を撃退したという。

三成は戦機が熟したのを見て、かねての約束どおり天満山に狼煙を上げ、松尾山の小早川隊や南宮山の

毛利・吉川隊に進撃の合図をした。

しかし、両山の諸隊がともに、少しも呼応する気配がない。

そこで三成はもとより、大谷吉継も、小西行長も、ともに急使を両山に遣わした。

しかし、なんの反応もない。

一方、東軍の総大将・徳川家康は、第一線部隊の戦果が思わしくないのを見て、南宮山の毛利・吉川隊に

背後から衝かれはしないか、それを心配し、このことを直臣の本多忠勝と相談した。

すると、忠勝は

「敵軍がいまだに山上から動かぬところから推察すると、東軍に対する内応は偽りとは思えませぬ。もし、

偽りであったとしても、これには池田・浅野の諸隊を配置してあるから、ご心配にはおよびませぬ」

と、意見を述べた。

家康は、忠勝の言葉を信じ、馬を関ヶ原の東端に進め、諸隊の進撃を促した。

本多忠勝もまた、戦線の中央に出て、小西・宇喜多隊を攻撃して前進するように友軍を指導し、戦況が有利

に展開するようにつとめた。

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≪前回の解答≫
正解:黒田長政
黒田長政は関ヶ原の戦いにおいて、調略でも西軍の小早川秀秋や吉川広家など諸将の寝返りを交渉する役目も務めており、それらの功により戦後、家康から一番の功労者として筑前名島(福岡)に52万3千石を与えられています。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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