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『戦国英雄の性格解剖』 その5

「謙信・信玄・信長・秀吉・家康の解剖」その5

(前回の記事は「こちら」です。)


第4は、用心深さの問題です。

謙信は戦国のさなか、わずか数10騎の供を連れただけで京都に上り、足利将軍に謁見したり、禁裡に詣っ

て天盃をいただいたりしている。

米沢城の上杉謙信
ue.上杉謙信 米沢城

1574年に北条氏3万の軍が、謙信方の将・佐野政綱の佐野城を囲み、謙信は8千の兵を率いて救援に

向かったが、途中、

「急がんと城は落ちるかも知れん。おれは先行して城にかけ入って城兵に力を添える。汝らはあとから来い」

と諸将に言って、わずか13騎の兵を率いてはせ向かった。

その装い、物の具も着けず、小袖の上に黒い木綿の道服を着、十文字槍を馬の平首にひきつけただけであ

った。

北条氏の本陣の前を、馬で走らせもせず、粛々と城に入った。

北条氏の軍兵どもは

「あなおびただし、鬼神のふるまいとはこれなるべし」

と、目を見はり、舌を震わせているだけで、あえて近づくものはなく、やがて囲みを解いて立ち去ったという。


有名な川中島の斬り込みなども有名ですね。

信玄の場合は、その用心深さたるや大変なものです。

7人の影武者をこしらえ、たえず傍においたというのもその表れですが、あまりにも周辺の状況に気を配りす

ぎて、上洛の決心がつかず、あれほどの力量を持ちながら、上洛もはたせていません。

この意味において、信玄は悲劇的な人物だったのかも知れません。

生涯用心ばかり続けて、その用心に見切りをつけて上洛の決意を固め一歩踏み出した時、病気が重くなり、

ついにそれが死の原因になっている。

彼は瀕死の床で意識不明になりながらも、山県昌景の名を呼んで、

「明日は瀬多に旗を立てい!」

と、言ったと伝わりますが、限りなく悲痛です。

sakura 20130412 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:真田幸村
大谷吉継の娘(妹、姪を養女としたという説も)・竹林院は真田幸村(信繁)の正室です。
関ヶ原の戦い後は、幸村の配流に従い九度山に移り大坂の役で信繁が死去すると、娘・おかね夫婦の援助を受け京都で余生を送っています。

≪本日の問題≫


                               <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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