三成の関ヶ原 その84 「人情の機微に通じた家康」

「人情の機微に通じた家康」

井伊直政は松平忠吉(家康の4男)とともに家康に謁見したが、家康は直政の負傷したのを見て、傷薬を

取り寄せて自らこれを傷口に塗ってやったというから、芸が細かい。

家康は男の泣きどころを良く知っていたのです。

井伊直政(1561-1602年)
ii.井伊直政

しかし、この満身傷だらけだったという前線の猛将・井伊直政も関ヶ原の武功を最後として、やがて、本多

忠勝や榊原康政らと同じく、太平の世には不要な人物として、徳川の幕閣から遠ざけられることになります。

福島正則は、家康に向かって

「内府どのの絶大な武威によって、大敵を半日のうちに潰走させた。その敏速なること。古今無類というべき

でござろう」

と、賞賛した。

すると、この正則の言葉に続けて、家康の側近にいた御伽衆の岡江雪が

「目下の情勢は、ちょうど夜が明けたようである。凱歌をあげるのもよろしかろう」

と、述べた。

すべて、戦勝の総大将に対する追従の言葉に過ぎない。

その時、家康は、

「野戦をもって凶敵を倒すことは、予期したとおりであって、不思議でもなんでもない。しかし、東軍の

諸将の妻子は、なお、敵中にある。数日内に大坂に至り、これを諸将に引渡した後に、凱歌をあげるがよか

ろう」

と、言ったというが、家康がいかに人情の機微に通じていたかがわかります。


今日から、北海道の城廻りに行ってきます。
まず、釧路に入りますが、気温は4度だとか・・・。

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:その時、左手は何をしていた
関ヶ原戦直後、家康は長政の功労に自らその手をとって賞したという。
帰郷してこの事を父・如水に話すと、如水に「それはどっちの手であった」と尋ねられ、長政が「右手でございます」と答えると、如水に「その時左手は何をしていた」(即ちなぜその時左手で家康を刺さなかったかと言う意味)と詰問されたという話があります。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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No title

おお☆
今日から北海道なんですね。
札幌は本日、雪です。
釧路だと、ますます寒いかもしれませんね。
防寒の準備はしっかりとしておいてください♪

みちこ さま

みちこさん、いつもありがとうございます!

北海道にお邪魔しています♪
釧路空港に着くなり、雪の洗礼を受けましたが、午後は
曇り程度で、根室&標津の原野を楽しむことができました。

今回は、札幌に寄る時間がなさそうなんです。
OUTは函館を予定しています。
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