三成の関ヶ原 その93 「大坂城の毛利輝元」

北海道の旅記が続きましたので、久しぶりの「三成の関ヶ原」になりました。 (前回は「こちら」です。)

「大坂城の毛利輝元」

家康は、西軍を関ヶ原の一戦で破って、これに壊滅的な打撃を与え、さらに主将・石田三成の居城・佐和山

城を陥落させた。

しかし、豊臣2世の当主秀頼を奉載した西軍の総大将・毛利輝元は、依然として大坂に在城しており、家康

には、これをいかに処置すべきかという問題が未だ残されていた。

毛利輝元(1553-1625年)
mo.毛利輝元 001

輝元は1600年7月17日に大坂城に入ったが、その後、諸大名に書を廻して豊臣秀頼の将来のために

家康討つことを宣言し、西軍に属する諸将に命じ、丹後の田辺、山城の伏見、近江の大津の諸城を攻めさ、

さらに伊勢・美濃・北陸の三道に兵を進めさせていた。

また、毛利の武将に命じ、東軍に属した加藤嘉明の居城・伊予の真前、および高藤高虎の居城・大洲を攻

略させた。

また、朝鮮役の際に罰せられて安芸に蟄居していた大友義統に命じ、その旧領の豊後に入らせて、東軍方

に属した諸将の城塞を攻撃させていた。

従って、関ヶ原の敗報に接したときの輝元の驚きは、ひとかたではなかったという。

それに敗戦の諸将のうち、彼の養嗣子・毛利秀元や立花宗茂などは輝元とともに大坂城に立て籠もり、東

軍を向かえ討ちたいとさえ言っていたという。

しかし、輝元は間もなく、吉川広家が毛利家の将来のために、色々と家康に弁解し懇願していることを知り、

まったく戦意を喪失したという。

pig 20130513 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫ (前回の問題は5月3日「こちら」です。)
正解:島左近
三成は、佐和山城に大改修を行って山頂に五層(三層説あり)の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、「治部少(三成のこと)に過ぎたるもの二つあり 島左近と佐和山の城」と言わしめたという。
三成は奉行の任のために伏見城に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父・正継でした。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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