三成の関ヶ原 その102 「大坂城への入城を果たせなかった三成」

「大坂城への入城を果たせなかった三成」

「武功雑記」(1696年)によると、三成が捕らえられたとき、伝左衛門という田中政吉の家来に向かって

「石田木工は、いかにしたか」

と、尋ねた。(石田木工頭は、正澄といって三成の兄です)

潭龍寺の三成像
is.石田三成 潭龍寺

伝左衛門が

「木工どのは、妻子を刺したのち、腹を切られた」

と語ると、

三成は

「それで、すべてが終わりだ」

と、言い

「われらも、このようにして身を逃れる理由とてないわけだが、なんとかして大坂城に入り、いま一度、兵を

挙げたいと思うからだ」

と述懐したという。

これが、おそらく三成の本音だったのでしょう。

三成は、関ヶ原で惨敗したが、切腹もせず、その場を脱出し伊吹山中に分け入ってまで、生きながらえようと

したのは、死ぬのが恐かったのではなく、なんとかして大坂城に入城したかったのです。

当時、大坂城には豊臣秀頼のほかに、西軍の総大将・毛利輝元もいたのです。

三成が大坂城に入り、秀頼を奉じて、あくまでも抗戦すれば、東西の戦況も逆転するかもわからなかったの

です。

しかし、彼は東軍の手で捕らえられて、その目的を果たすことはできなかったのです。

三成には始終、敗戦の将に見られるような、みじめさが少しも感ぜられなかった。

己を知るもののために全力を傾注し、力尽きてやんだ者の心のやすらぎがあったからなのでしょう。


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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:熊本県
宇土城は小西行長によって、熊本県宇土古城の東に位置する丘に築かれた平山城です。
3重の天守などが建てられたが、小西行長が関ヶ原の戦いに敗れ、加藤清正が宇土城攻略の功績によって小西領を併合して肥後一国の大守になっています。

≪本日の問題≫


                 <参考文献:石田三成(桑田忠親薯)、大谷吉継と石田三成(工藤章興薯)>
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