【戦国英雄の性格解剖】 その11

「謙信・信玄・信長・秀吉・家康の解剖」 その11


豊臣秀吉の前半生は殆ど分かりません。

秀吉が信長に仕えた後すら、18歳説と23歳説などがあって、よく分からない。

また、生年も1536年説と1537年説があるくらいです。

信長に仕える前、遠州で今川氏の家臣であった松下嘉右衛門之綱の家に奉公していたことだけは、秀吉が

偉くなってから松下夫婦を招いて厚遇している記録から事実らしいですが、それ以外のことはまるで分からな

い。

長浜駅前の秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉・三献の茶

異常なほどの成功者という者は、その出世前のことを、それが悲惨であればあるほど、自慢話として語りた

がるものであり、秀吉は陽気で大ホラ吹きですから、大いに昔のことを語りそうですが、まるで語っていない。

信長に仕えるまでの秀吉の生活は、悲惨すぎて、彼自身が思い出すのも不愉快だったのでしょうか。

世は戦国時代です。家を飛び出して放浪して歩く少年に、吹く風が温かい筈がないのです。かっぱらいもし

たろうし、泥棒もしたろうし、タカリもしたろうし、乞食もしたのでしょう。

つまり、放浪する戦災孤児のような生活であったのかも知れません。

こんな想像をするのは、信長に仕えてからの秀吉の奉公ぶりが勤勉すぎるからです。

できるだけ、信長の目にふれるようとして出シャバリもしており、気に入られようとして実に無理な奉公もし

ています。

同輩や先輩をおしのけて口出しをするし、人が二の足を踏むような困難な仕事を進んで引き受け、引き受け

るや、シャニムニ仕上げています。

こういう働きは普通な人にはできない。

人生のどん底の経験をしてきて、再びあのような境遇には転落したくない。という堅い信念を持っていて初め

てできることであったと思われます。

秀吉が社会に最下位から出発して、信長に仕えるや、急坂を駆け上がるような立身をなし得たのは、運の

よさもあり、努力もあったに違いないが、根本にこの悲惨な経験からきた覚悟のすわりの良さがあったから

だと思います。

sakura 20130604 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:海津城
景虎(謙信)が関東で北条氏康と戦っている間に、武田謙信は川中島に海津城(松代城)を完成させてこれを前線基地とし、信濃善光寺平における勢力圏を拡大させています。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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No title

こんにちは

私も良く思ってましたよ

日吉丸には何か普通の人以上の努力があり

頭を使ってはったのでしょうね

普通よごれているであろうゾウリを懐で

温めるなんてこと出来ませんよね。

wakasaママ さま

wakasaママは、よくご存知ですね!

秀吉さんは、常人では出来ないことをやっていたようですね!
今度、若狭に帰られる時、長浜あたりにいるかも知れませんので、
声をかけてあげてください。^^

ママ犬 さま

そうですよね~

秀吉さんは、最後は孤独だったようですね。
天下人といえども、独裁者の宿命は孤独なのかも知れません。

> 巨万の富と権力を得て、幸せだったのかな。。。

坂を昇るときは、幸せの絶頂だったのでしょうね。
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