『キリシタン王国を夢見た 大友宗麟』 その1

『大友家は源頼朝の子孫?』

豊後の大友家は、源頼朝の妾腹の子から出ているといわれる。

源氏累代の家人で、上野国利根郡の豪族で大友四郎という者がいて、その娘・利根ノ局が頼朝の元に奉公

に上がっている間に寵愛を受けて妊娠したというのです。

大友宗麟(1530-1587年)
oo.大友宗麟

頼朝の妻・政子は歴史に残るほどの恐い人です。

頼朝は困り果てて、利根ノ局を腹に子が入ったまま、藤原親能に譲ったというのです。

生まれた子は、一法師丸と名づけられて、親能の元で成人したが、1180年、9歳の時から頼朝の側に

召し遣われた。

17歳にして元服して能直と名のり、左近将監に任じ頼朝の命によって母方の姓を継いで、大友を称し、

豊前・豊後両国の守護に補せられて、鎮西奉行となった。

以上は、大友系図・大友公御家覚書等が伝えるところですが、あまり信用はできなのでしょう。

一法師が1180年(治承4年)に9歳になっているのなら、その翌年は承安2年です。

その頃は平家の最盛期で、頼朝は蛭ヶ小島(伊豆)で一流人だったのです。

頼朝の落胤説は他にもあって、島津家の始祖忠久も頼朝の落胤ということになっています。

恐い女房を持ったお陰かも知れません。

系図作者が恐い政子さんを利用し、公式認知しない落胤があっておかしくないと導いたのかも知れません。

sa-ko 20130620 001

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今日は、戦国クイズはお休みさせて戴きます。


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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まーりたん さま

こんにちは、
こちらこそ、いつもありがとうございます!

宗麟さんは、齧りがいのある人かも知れませんネ。

頑張る時と、そうでない時の差。
西教史と国内伝書との差。

研究してみると面白いのかも知れませんね。
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