『キリシタン王国を夢見た 大友宗麟』 その3

『継子いじめ』

大友記は「到明殿とて御末子の御曹司に御代を譲らんと思しめし、義鎮公には常の御対面もなく、到明殿

に御本意浅からず。高きも賤しきも、継子継母のなかほどどうたてきことのなき」と記述している。

大友館イメージ図(大分市役所HPよりお借りしています)
oo.大友館イメージ図

義鑑の最初の妻は、伏見宮貞常親王の王女で、これが義鎮(宗麟)を生んでいます。

この王女は早く亡くなったので、後妻を周防の大内氏から娶った。

しかし、この妻も男子(義長)をひとり生んで、まもなく亡くなったので、さらに娶った妻が到明の母です。

義鎮が20歳の時、義鑑は49歳になっているが、到明はまだ10歳以内のようですから、夫人はまだ若く、

せいぜい25、6歳であったのでしょう。

義鑑が若い夫人へ愛に迷うのも頷ける話です。

現代においては、継子いじめなどありませんが、この時代は各時代を通じて一番多かったのかも知れません。

一家のあらゆる権力と利福がただ一人に相続されて、他の兄弟は臣従的な境遇に落ちいらなければならない

制度であったからでしょう。

到明の母は、家老の入田親誠に到明擁立のことを頼み込み、入田はこれを引受けた。

お家騒動というのは、このように正当な継承権を持たない若君側に有力な家臣が加担するところから起きる

ものですが、その典型的な道筋を大友家は辿ったのです。

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:フランシスコ・デ・ザビエル
キリシタン大名としても知られる宗麟ですか、1551年に豊後へ布教のためにやってきたイエズス会宣教師・フランシスコ・ザビエルを引見したことがキリスト教との出会いでした。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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