『キリシタン王国を夢見た 大友宗麟』 その11

『宗麟の義弟・義長が山口・大内家の主君に』

山口の太守・大内義隆が家老・陶晴賢に殺逆されたのは、ザビエルが山口を去って豊後に来て義鎮(宗麟)

の客となって間もなくのことであった。

陶は大内氏の名跡を義鎮の弟・義長(晴英)を迎えて継がせ、これを主君として仰ぎたいと申し込んできた。

義長の母は、大内義隆の姉なのです。

大内義隆(1507-1551年)
oo.大内義隆

大友記では、義鎮は気が進まず断る気であったが、義長が乗る気であったので遣わすことになったと記して

いる。

しかし、義長はなぜ行く気になったのでしょう。

晴賢のような権臣がいる限り、義長は飾り主人にしかなれないことは明らかです。他家から来たのですから、

地位も不安定なものです。

単に大国の主となる喜びに引かれてとは考えられません。

義鎮が家を継いだ時のいきさつもあり、義鎮には不安感と猜疑心があり

「いつ自分に不平な家臣どもが、義長を担いで謀反を起こすかも知れない」

といった脅迫観念があり、それが義長に反射して家を出る気になったのかも知れません。

後年、義長は毛利元就に滅ぼされますが、その時の義鎮の態度を考えると、そう思われます。

こうして、義長は山口に迎えられて大内義長となった。

義鎮は、ほっとしたに違いありません。

この時から数年間、彼は攻城野戦の生活に入ります。

先ず肥後に兵を出して、菊池義宗と戦ってこれを破って肥後を領地とし、豊前に進出して豊前国内の諸豪

族を服属させ、さらに筑前に出兵して秋月氏を征服するなど、なかなかの武将ぶりを示し、威命を全九州

にとどろかせた。


*現在、足跡が残せない状態になっているようです。
 訪問して頂いている皆様にご迷惑をお掛けしています。
 解決方法をご存知の方に、ご教示頂ければ幸いです。


sa-ko 20130702 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:瑞峯院
宗麟が自らの菩提寺として建立した瑞峯院は、臨済宗大本山大徳寺の塔頭で、境内には大友宗麟夫妻の墓があります。
瑞峯院という寺号は、宗麟の法名「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」から名付けられたものです。
何れも大徳寺の塔頭で、龍光院は黒田長政が建立、大慈院には立花宗茂の墓があります。

≪本日の問題≫


                                <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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