『キリシタン王国を夢見た 大友宗麟』 その28

『島津家の台頭』

耳川の戦いの結果は、九州の形勢に大きな変化を与えた。

北九州を制していた宗麟の勢いがさっぱり振るわなくなると同時に、島津家の勢いが盛り上がってきた。

島津家は日向南部を確保するとともに、鉾を肥後に転じてその諸豪を下し、肥前島原で竜造寺隆信と戦って

これを撃破し、筑後を侵し、筑前に進出した。

肥後も筑後も、みな大友氏の所領だったのです。

臼杵城の宗麟公
oo.大友宗麟 臼杵城

しかし、宗麟はこの形勢をどうすることもできなかった。

居すくんだ形で豊後から出なかった。

1586年から1587年にかけては、大友家の領地は豊前・豊後の2国と筑前国内の岩屋城・立花城・宝

満城の3つが残るだけとなった。

岩屋城には高橋紹運、立花城には立花宗茂、宝満城には高橋統増は篭っていた。この3人は父子なので

す。

紹運が父、宗茂はその長男で立花家に養子に行ったのであり、統増は宗茂の弟です。

この3城だけが、大友家に忠節を守って、怒涛のような島津勢の攻撃に対して悲壮な抵抗を続けていたの

です。

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:殺生が避けられない現実
全ての選択肢について宗麟が苦しんだことだと思われますが、特に、キリスト教の「汝、殺すなかれ」という教えと、戦の上で殺生は避けられない戦国乱世の現実との間で煩悶していたといいます。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>

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島津家かぁ

へぇ、激しい戦いがあったんでしょうねぇ

なんだか千早赤阪城を思い出してしまいました。

風邪ね、ぜんぜんよくならなくて…

かわいいうさぎちゃんでもいれば抱っこして眠れるんだろうけど。

みさ さま

こんばんは~

結構、古い城が出てきますねぇ~^^
前回は松永久秀とか、千早城といったら楠木正成ですから・・・。

千早城には行ったことありますが、石段を昇る体力を失していましたので、
諦めました><
次回は、金剛山を制したいと思います!!

うさぎのだっこは冬はいいですけど、夏は暑くてお互いに大変ですよ~。
カゼ、早く吹き飛ばしてくださいね。
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