『天才軍師・竹中半兵衛』 その17

『小身で大様な半兵衛』

半兵衛を戦さ上手な人物として語る話として、甫庵太閤記(江戸初期)にこんな話が出ています。

その2

浅井・朝倉両家が亡んだ2年後の長篠合戦の時のことです。

長篠城の戦い
se.設楽ヶ原の戦い再現された柵

戦いたけなわで、まだ勝負の色が見えない時、武田勝頼が自分の右隊を、秀吉の陣の左方200m余りの

ところに移した。

秀吉の与力・谷大善亮衛好はこれを見て

「こちらの備えもかえずば不利である」

と下知して、そちらに向きを移動させようとした。

半兵衛は

「いやいや、敵のあの備えの気色、やがて元の陣に変えるであろう。これまで通りの備えでよろしい」

と言って、止めたので論争になった。

谷は憤慨して、秀吉に訴えた。

秀吉は谷の思う通りにしてよいと言ったので、谷は欲するように備えを変えたが、半兵衛の陣千人だけは

前のように固く備えを保った。

一時間もたたないうちに、武田の右隊は前の陣所に引き返したので、秀吉の陣もまた前に返さなければな

らなくなった。

半兵衛は少しも誇る色がなかったので、人々は

「竹中の大人なげなること、尋常な者ならば、見たことか右往左往の見苦しきていと罵るべきところであ

る。あの小身で大様なこと、信長公のような身分の人のようじゃ」

と賞賛したという。

こういう半兵衛の性行は、天性のものでしょうが、彼が幼少から読書を好んだということから考えると、

中国の書物を読んでいたのでしょうか。

sa-koume 20130909

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:西軍として戦った
武蔵は、関ヶ原の戦いでは父が関ヶ原の戦い以前に東軍の黒田家に仕官していたことを証明する黒田家の文書が存在することから、父と共に当時豊前を領していた黒田如水に従い東軍として九州で戦った可能性が高いという。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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