『天才軍師・竹中半兵衛』 その22

『半兵衛の死没』


半兵衛はこの年の春頃から、病気に陥っていた。

陣中ではあるが、然るべき医者を求めて治療したが、なかなか良くならない。

秀吉の勧めでしょう

「京には名医もいる。上って治療するがよい」

と言うので、京に上った。

竹中半兵衛(1544-1579年)
ta.竹中半兵衛 004

少しはよくなったようだが、気分がいっこうに爽やかにならない。

半兵衛は慨然として

「いずれ死ぬべきものなら、戦場でこそ死にたい。三木へ参ろう」

と言って、三木に帰ったが、間もなく再病し6月某日に陣中で没した。

享年36歳であった。

「秀吉は限りなくかなしび、劉禅、孔明を失ひしにことならず」

と豊鑑(竹中半兵衛の子・重門著)に書いている。

半兵衛は三木の陣中にいた時、坊さんの道具を買い求めて高野山に送り届けたという。

三木城が落ちたら、高野に上がって出家するつもりであったのでしょう。

その要因として、半兵衛の奇才に対して秀吉の妬み心があったというのですが、確証となるものは伝わって

いません。

半兵衛がその志を遂げずに早く死んだのは、惜しむべきでしょうが、かえって幸いであったのかもしれません。


pig 20130916 001


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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫(9月14日)
正解:三木城
羽柴秀吉が行った播州征伐で、別所氏は播磨三木城に篭城した。
この合戦で秀吉が行った兵糧攻めは、1年10ヵ月にも及び「三木の干殺し」と呼ばれます。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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