『逆臣の武将・明智光秀』 その1

明智光秀はなぜ謀反したのか。

その真相は闇の中ですが、怨恨説、久しい計画説、危惧説など多くの説があります。この闇の中を一緒に

覗いてみませんか。


『千人の頭(かしら)には普通の人間でもなれる』


通説では、光秀は美濃源氏土岐の支族で、祖父を道継といい、父は光綱といい、幼くして父に死別し、明智

城主の叔父・光安宗宿に養われ、16歳のとき元服し十兵衛光秀と名のったという。

その13年後に斎藤道三が子・義竜と戦い討取られた時、明智城では道三方に味方して義竜と戦い、城は落

ち光安宗宿は弟・光久と共に没した。

明智光秀(1528-1582年)
ak.明智光秀

光秀は叔父の供をして死にたいと言ったが、宗宿は許さず

「道三様はおれにとって御主人である故、おれは死なねばならんが、そちにはその義理はない。落ちて明智

家の再興を心掛けてくれい」

と訓戒して、子・光俊と甥の光忠を託したという。この時、光秀29歳であった。

明智を立ち退いた後、朝倉家に仕えるまでの光秀は諸国を流浪して歩いたというが、その間のこととして小説

的な話がいくつか伝わります。


その1

ある時、光秀は大黒天の像を拾った。

「これは福の神である」

と、大いに喜んで家に持帰り、神棚にのせて朝夕礼拝していると、ある者が

「さてもめでたいことかな。この大黒天殿と申すのは千人の司ということになっています。よくよく信心召されよ」

と言った。

すると、光秀は顔色を変え

「大黒様とは僅かに千人の司か、千人くらいの人の頭となるのは、普通の人間にも珍しくない。福神なればとて、

大望を抱く武士の信心すべき神ではない」

と言って、打ち棄てたという。

pig 20130929 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫(9月27日)
正解:九州征伐で勝手に撤収した
千石秀久は九州征伐で四国勢の軍監として九州征伐で、島津軍との戸次川の戦いで壊滅的な打撃を受けて敗走し、長宗我部信親・十河存保らが討死、総崩れとなって退却した。
秀久は敗走する軍を取りまとめる責務を果たさず、諸侯を差し置いて小倉城に逃げ帰ったうえ、九州から四国・讃岐へ勝手に撤収するという醜態を見せています。
これらの振る舞いに秀吉は激怒し、所領没収の上で高野山追放の処分を下しています。

≪本日の問題≫



                                  <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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