『逆臣の武将・明智光秀』 その30
明智光秀はなぜ謀反したのか。
その真相は闇の中で怨恨説、久しい計画説、危惧説など多くの説があります。この闇の中を一緒に覗いて
みませんか。
『怨恨説 Ⅱ』
その2
稲葉一鉄の家来であった斉藤利三が気に食わないことがあって、一鉄のもとを去って、秀光の家来になった。
一鉄はこれを信長に訴えて、利三を取り返そうとした。
織田信長(1534-1582年)

信長は訴えを受理して、返すように秀光に言った。
「その儀はお許し下されとうござる。利三ほどの勇士を家に養うのも、つまりは上様のためによき御奉公をした
いと存ずればこそのことであります故」
と、光秀は拒んだ。
信長はカッと腹を立てて
「おれの言葉をきかんのか! 推参なるやつめ!」
と、光秀の襟首をつかんで引きずりあげ、二、三間も突き飛ばし、なお憤怒のあまり脇差を抜こうとまでした
が、光秀がすばやく次の間に逃げ去ったので、信長の怒りは静まった。
光秀は次の間で涙を流し
「面目を失うた」
と言って退出した。
人々は
「光秀の風情、ただ事ではない」
とささやき合ったという。
(川角太閤記、明智軍記、常山紀談)
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いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:ノイローゼ説
司馬遼太郎は、「『国盗り物語』では野心があったように書きましたが、光秀はノイローゼだったのではないかと思っているのです。ですがノイローゼでは小説になりませんので」という旨の発言をし、司馬自身、光秀は恐怖心が昂じて神経症になった末に発作的に行動した、と思っていたという。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
その真相は闇の中で怨恨説、久しい計画説、危惧説など多くの説があります。この闇の中を一緒に覗いて
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『怨恨説 Ⅱ』
その2
稲葉一鉄の家来であった斉藤利三が気に食わないことがあって、一鉄のもとを去って、秀光の家来になった。
一鉄はこれを信長に訴えて、利三を取り返そうとした。
織田信長(1534-1582年)

信長は訴えを受理して、返すように秀光に言った。
「その儀はお許し下されとうござる。利三ほどの勇士を家に養うのも、つまりは上様のためによき御奉公をした
いと存ずればこそのことであります故」
と、光秀は拒んだ。
信長はカッと腹を立てて
「おれの言葉をきかんのか! 推参なるやつめ!」
と、光秀の襟首をつかんで引きずりあげ、二、三間も突き飛ばし、なお憤怒のあまり脇差を抜こうとまでした
が、光秀がすばやく次の間に逃げ去ったので、信長の怒りは静まった。
光秀は次の間で涙を流し
「面目を失うた」
と言って退出した。
人々は
「光秀の風情、ただ事ではない」
とささやき合ったという。
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正解:ノイローゼ説
司馬遼太郎は、「『国盗り物語』では野心があったように書きましたが、光秀はノイローゼだったのではないかと思っているのです。ですがノイローゼでは小説になりませんので」という旨の発言をし、司馬自身、光秀は恐怖心が昂じて神経症になった末に発作的に行動した、と思っていたという。
≪本日の問題≫
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