『逆臣の武将・明智光秀』 その34

明智光秀はなぜ謀反したのか。

その真相は闇の中で怨恨説、久しい計画説、危惧説など多くの説があります。この闇の中を一緒に覗いて

みませんか。


『計画説』

次は久しい計画であったという説です。

その1

光秀は、武田勝頼と示し合わせて反逆しようとして、このことを勝頼に申し送ったが、勝頼は計略と見て相手

にしなかったという。(甲陽軍艦)

細川家記には、この説を発展させて、徳川家康に同道して武田の一族・穴山梅雪が安土に来たので、以前、

勝頼に内通を申し込んだことが、梅雪によって信長に告げられた、こと露見に及んだことを恐れて、反逆した

と書いている。

亀山城天守台
天守台は宗教団体の聖地になっておりますので、上がることはできません。
ka.亀山城 002


その2

これは老人談話にある説ですが、光秀の謀反の企ては久しいものであった。

その証拠に、光秀は亀山に城を築いた時、これを周山(しゅうざん)と名付けている。

すなわち、周の武王を気どり、信長を殷(いん)の紂王(ちゅうおう)に見立て、武王が諸侯の身をもって暴悪

な天子・紂王を伐った故事になぞらえたものであるといっている。

さらに、付け加えて

光秀という人物は、小心なきまじめな性質であり、秀吉は何でも明け透けに言う豪放な人柄であった。

光秀の亀山築城の頃、秀吉は光秀に

「ぬしは、謀反のために亀山に夜普請して城づくりをしているそうだの」

とからかうと、光秀は

「やくたいもないことを言われる」

と苦笑したと書いている。



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sakura 20131204 001


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:竹中重治
黒田官兵衛は、荒木村重を説得するため有岡城へ乗り込むも逆に拘束された。この時、いつまで経っても戻らぬ官兵衛を、村重方に寝返ったと見なした信長からの命令で処刑される松寿丸(黒田長政)であったが、竹中重治の機転により一命を助けられています。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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