『逆臣の武将・明智光秀』 その35

明智光秀はなぜ謀反したのか。

その真相は闇の中で怨恨説、久しい計画説、危惧説など多くの説があります。この闇の中を一緒に覗いて

みませんか。


『危惧説』

その1

ある時、信長が森蘭丸に

「どこでもそちの望む土地をやろう。どこが欲しいか」

と言ったところ、森蘭丸は

「亡父の領地をいただけますなら、この上のうれしいことはござりませぬ」

と答えた。蘭丸の亡父・森可成の旧領とは、光秀の領地近江滋賀郡です。可成は坂本の近くの宇佐山城主

でしたが、1570年に浅井・朝倉の連合軍のために戦死したのです。

信長は蘭丸の孝心をあわれみ

「3年待て、3年たったらそちにやろう」

と言った。

このことを人づてに聞いた光秀は

「3年後には、おれの身はあぶないぞ」

と恐れ、先手を打ったという話。


本能寺で討ち死にする森蘭丸(1565-1582年)
mo.森蘭丸


その2

これは明智軍記に出ている説ですが、ご馳走役を取り上げられて光秀が憤懣しているところへ、信長の上使

が来て、中国出陣を命じたうえ

「その方に出雲・石見を与える。しかしながら、今の丹波・近江は召し上げる」

と、言い捨てて帰った。

出雲・石見は、まだ毛利の分国です。それを与えるから、今の土地は取り上げるというのです。

光秀も家臣も茫然として、闇夜に迷う心地がした。家臣らは憤激して

「沖にも出ず、磯にも寄らぬ風情の頼りなき身となり果て、所々屍をさらさんこと悔しき至り。佐久間信盛、

林通勝、荒木村重など、先例のなきことではござらぬ。当家を滅ぼさんと信長公の御所存のほど、明らかで

ござる。」

と謀叛を進めたので、光秀も決し

“人知らぬ人は何とも言えば言へ

 身をも惜まじ名をも惜しまず”

と、詠じて坂本城へ向かった。



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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:武田勝頼との対立
信玄の死後は従兄弟で義弟の武田勝頼とは対立が絶えず、長篠の戦いの際には戦線を離脱する。これに怒った高坂昌信が勝頼に信君を切腹させるべきだと意見したが、親族衆の筆頭である信君を処断することで家中が分裂することを恐れ、勝頼はその意見を退けたという。
1582年2月25日、織田信長の甲斐侵攻に際しては河内領・江尻領の安堵・武田宗家の継承を条件に織田方に内通し、徳川家康を通じて信長に内応しています。

≪本日の問題≫


                                  <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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こんばんは(*^^*)

本当に信長はヒドイ奴ですよね~(`ヘ´)

柴田、浅井、足利、松永、荒木と結構裏切られていますよね(^_^;

ただ、光秀も同情的な人が少ないのもなんだかなぁですね…

たけぞう さま

こんばんは

いつもありがとうございます。

400年以上も前のことですから、何が虚で何が真実か
良くわからないところでしょうか。

歴史は楽しむにかぎる気がしますよね。^^
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