『逆臣の武将・明智光秀』 その38

明智光秀はなぜ謀反したのか。

その真相は闇の中で怨恨説、久しい計画説、危惧説など多くの説があります。この闇の中を一緒に覗いて

みませんか。


『光秀は誠実型』

謀反を企てる人間の性質に2通りがあるそうです。

深刻冷酷型と誠実型との2つです。

斎藤道三や松永秀久らは深刻冷酷型です。この型は計算を立てて、長い年月をかけて行うから、成功もする。

平将門や西郷隆盛などは誠実型です。抑えにおさえて我慢しているので、その反逆は爆発的なのです。まる

で計算が立っていないので失敗する。

明智光秀(1528-1582年)
ak.明智光秀

光秀もは誠実型だったのです。

その反逆にはぜんぜん計画が立っていなかったので、本能寺の信長を倒すまでの手際は見事であったが、

それ以後のことは、彼ほどの戦術家にあるまじき稚劣さです。

光秀が大事に踏み切ったのは、当時、信長配下の有力な武将らが、みな京都から遠い土地にいて、急いで駆

け付けることはできないと見たからでしょう。

最も有力な徳川家康は国を離れて堺見物に行っており、柴田勝家は越前で上杉氏と対峙しており、滝川一益

は関東探題として上州にいて、丹羽長秀は四国征伐のため6月に渡海すべく大坂に下っており、秀吉は備中

で毛利氏の大軍と対陣中だったのです。

いずれも急場に間に合うものではなく、彼らが動きがとれるようになるまでには、どう短くても1ヵ月や2ヵ

月はある。

その間に畿内を固めてしまえると、思ったのでしょう。


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pig 20131210 001


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:氏綱
早雲の後を継いだ氏綱は北条氏(後北条氏)を称して武蔵国へ領国を拡大。
以後、氏康、氏政、氏直と勢力を伸ばし、5代に渡って関東に覇を唱えています。

≪本日の問題≫


                                  <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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