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【加藤清正】 その6

『滝川一益攻め』


山崎の合戦の翌年の2月に、秀吉が滝川一益を討ったときの武功です。

織田信長が本能寺で没した時、滝川一益は関東探題として上州厩橋(前橋)城にいた。

滝川一益(1525-1586)
ta.滝川一益

一益は本能寺の変報が伝わるや、帰属していた関東の諸将を招いて本能寺のことを打ち明け、人質を返し所蔵

した宝物を分け与え、伊勢長島城に帰って来った。

この時、秀吉はすでに山崎合戦で主君の仇を討ち滅ぼして、朝日が昇る勢いであった。

これに快くなかったのが、信長家臣の第一であった柴田勝家であった。

勝家は本能寺の変の時、越中で上杉景勝とせりあっていたため、急には京都に駆けるつけることができず、山崎

合戦で明智光秀が滅ぼされるのに間に合わなかったのです。

勝家を中心とするアンチ秀吉勢力が結成され、その中心をなしたのが、越中富山の佐々成政、越前北ノ庄の柴田

勝家、岐阜の信長の3男・信孝、そして伊勢長島の滝川一益であった。

秀吉は敵方の首領たる柴田勝家が雪に閉ざされて北国から出て来ることのできない間に、山崎合戦のあった暮

れには大軍を持って、岐阜城を圧迫して信孝に謝罪させ、翌年の2月には滝川を討つために7万5千の兵を三手

に分け、近江道から三道に分かれて伊勢に向かった。

一軍は弟・秀長が率いて土岐多良越えから、一軍は甥の秀次が率いて大君越えから、一軍は秀吉自ら率いて

安楽越えから伊勢に入り、桑名で三軍が合流して一益の本拠である木曾川河口の長島を攻める段取りであった。


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pig 20131224 002


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:天王山
山崎の戦いは「天王山の戦い」と呼ばれたりしますが、しかし実際には、天王山の争奪は戦局に大きな影響を与えておらず、そもそも天王山の争奪戦そのものがあったかどうかも定かでないそうです。

≪本日の問題≫


                                        <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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