【加藤清正】 その17

『大将対決』

清正は30人ばかりの敵の集団の中に突入して、両鎌槍を振るって奮闘し2人を倒し、なお立ち振舞っていると、

5、6人の武者が弓を携え下ってきた。

その中の武者ぶりの見事な者が、清正に声をかけた。

「これは、御大将ではおわさぬか、かく申すは木山弾正でござる。天草鍛冶が鍛えたる矢じり、ひとつまいらせん」

弓をきりきりと引き絞って、今にも切って放すさまだ。

加藤清正公の片鎌槍
ka.加藤清正 片鎌槍

清正はさわがず

「いかにも主計頭である。しかしながら、大将同士の勝負に飛び道具は面白からず、太刀打ちせん」

と言って、両鎌槍を投げ捨てた。

「心得たり!」

と弾正は弓を捨てた。

すかさず、清正は槍を拾い上げて突いてかかった。

「たばかるとは卑怯な!」

と弾正は怒ってののしったが、清正の槍法は鋭く、高股(たかもち)をかけおとし、槍玉にかけてはね上げ、谷底

にはね落したので、弾正は絶息した。

大将が討たれたので、形勢は逆転して天草勢は敗走。

この戦い方はフェヤープレイでないのでしょうが、これは武略ともいえ、宮本武蔵の仕合ぶりと同じで、当時とすれ

ば決してけなすことではなかったのでしょう。

騙される方が不心得なのです。

だから、清正を賛美することを目的としている清正記に書いているのです。

木村弾正の敗戦で、気力が衰え志岐城も開城降伏したので、清正は小西行長らとともに本戸(本渡)に押し寄せ、

3日間昼夜猛攻し、4日目の朝、城主・天草伊豆守は妻子を刺殺して腹を切っています。

また、木村弾正との戦いで、清正両鎌のひとつが折れて片鎌槍になったと、清正記にあるという。(また、朝鮮の

役での虎との戦いで噛み折られてしまったという俗説も)

清正は、その後もこの槍を、片鎌槍と称して愛用を続けたという伝説があり、愛用の槍は八十姫の輿入れ道具

として持ち込まれ、紀州徳川家に伝えられたという。

現在は、東京国立博物館に所蔵されていますが、この槍は元から片方が欠けているそうです。


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pig 20140115


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:片鎌槍
清正は天草一揆討伐で激戦中に所持する十文字三日月槍の片刃が折れてしまったが、片鎌槍と称して愛用を続けた、という伝説があります。
この愛用の槍は八十姫の輿入れ道具として持ち込まれ、紀州徳川家に伝えられています。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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