【加藤清正】 その22

『清正、朝鮮に上陸』


4月12日の朝、小西行長軍と宗義智軍は対馬を出発、午後5時頃、釜山に着いたが、これは宗義智が乗った

船だけで、その部下の兵船や行長の兵団は釜山までは行かず、島々の陰に隠れていたという。

宗義智は釜山に着くと直ちに上陸して、鎮衛館の役所に行き、道を貸せとの書面を差し出したが、要求を飲む

ことはない。

文禄の役・釜山城
pu.釜山城(文禄の役)

宗義智はそのまま帰船して、行長にこのことを通知し、翌明けがた釜山を襲撃し、たちまち釜山を落とした。

翌14日には東来城を攻め、これも直ぐに落して万事予定どおりであった。

清正はこの時、壱岐の風本にいた。

朝鮮近くの島にいて待つようにとの秀吉の命であったが、対馬に小西勢がいる以上、それを越えて前進するこ

とは出来なかったのでしょう。

清正の家中の勇士・木村又蔵の覚書によると、清正・鍋島・相良らの第2軍は、4月17日に釜山に到着してい

る。

行長に送れること5日です。

翌日、梁山に着いて、行長らの動静を聞くと、蜜陽、清道などを占領して尚州に向ったという。

そこで、道を右にとって彦陽に向いさらに慶州を目指した。


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sakura 20140122


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:西軍
小西行長は、朝鮮の役以後、徳川家康の取次役を勤めるなど、むしろ家康との距離を近づけているが、1600年の家康による会津征伐に際しては上方への残留を命じられた。
その後に起こった関ヶ原の戦いでは、石田三成に呼応し西軍の将として参戦し、六条河原において石田三成・安国寺恵瓊と共に斬首されています。

≪本日の問題≫


                                        <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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