【加藤清正】 その25

『朝鮮2王子の束縛』


清正の武将としての働きは日本国内では、際立つものは少ない。

天草の地侍一揆の鎮圧戦と、関ヶ原の戦いの時に小西行長の本城である宇土城を攻めたくらいで、その他

は朝鮮における働きですが、前役(文禄の役)における最も大きい功績は2王子を虜にしたことです。

清正と行長は京城に入って間もなく、それぞれその向かうところを分掌し、行長は西海に面した平安道を行き、

清正は東海に面した咸鏡(かんきょう)道を進むことになった。

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正像 002

清正は黄海道の安城(現在の新幕)から東北に向って、朝鮮の脊梁山脈を越えて元山近くの安辺に出て、海

に沿った平野地帯を北上して永興府まで行くと、町の入口に永興の朝鮮役人の立てた高札があった。

これを家臣・美濃金太夫に読ませると、国王李昖(りえん)は明国に退き、王子兄弟はここから奥にお通りとい

う意味の文章であったという。

国王や王子らが無時避難したことを民に知らせて、その心を安定させるものであったのでしょう。

「追いつめて2王子を生け捕りにいたそう」

と、清正が勇躍したところ、鍋島直茂は

「異国の者の腹は奥深うござる。われらを切所に誘い込んで討ちとろうとのはかりごとであるやも知れぬ。また

われらが勢は、この暑熱に16日も押してまいり、人馬とも疲れ果てている。ここは兵糧なども多量にござれば、

暫く頭留して漢城への注進あって、指図次第で漢城へ引き取ることにいたそうではござらんか。」

と反対した。

清正は

「この高札を高麗人どもが立てたと思いでござるか、われらはさようには思わず、ひとえに天照大神・八幡大菩

薩の示現と覚える。されば神慮にまかせて追い掛けて、王子らを生け捕りにいたさん。鍋島殿はここにてお待

ちあれ」

といい、現地の役人を案内者として先に立て、手勢8千人を率いて、空けても暮れても東北方に向って進み、

途中、海汀倉(かいていそう)で朝鮮軍を撃破し、満州国境に近い会寧府で2王子に追及して捕らえた。

永興府で鍋島直茂に分かれてから52日目であった。



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pig 20140127


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:小早川秀秋の裏切り
関ヶ原の戦いで、小西行長の部隊は東軍の田中吉政、筒井定次らの部隊と交戦して奮戦しています。
しかし、小早川秀秋らの裏切りで大谷吉継隊が壊滅すると、続いて小西隊・宇喜多隊も崩れ、行長は伊吹山中に逃れています。

≪本日の問題≫


                                       <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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