『黒田官兵衛』 その10

『毛利家、播磨の豪族を凋落』

信長の安土城が竣工して岐阜から移り住んでいたが、毛利勢の撃退報告を受取ると、直ぐに小寺政職に感状

を送り、なお荒木村重に与えた手紙の中に、こう書いている。

「官兵衛の尉別して精を入るるの旨。然るべき様に相心得、申し聞かすべく候なり」

さっぱり内容がわからないですね。

織田信長(1534-1582年)
od.織田信長 02

官兵衛は特別精を入れて働いたという。そのつもりで念を入れて褒めてやるようにという意味だそうです。

荒木村重は播州の隣国摂津の国王であったので、小寺家からの注進状は先ずここに送られ、村重の折紙をそ

えて安土に送られたからです。

奉公最初のこの鮮やかな勝ち戦さは、俺の目は狂わなかったと、十分に信長を満足させたのです。

毛利方は敗戦したものの、出兵の効果だけは上げています。

播磨の豪族らが動揺の色を見せ始めたのです。

これに乗じて、毛利家は遊説戦を展開した。

弁口の立つ者が播磨、摂津の豪族らに

「なるほど、織田家は今は大した勢いでござるが、一体信長はどんな人物とお思いか。利のためには肉親を殺

すもはばからぬ人物だ。考えてもごらんあれ、同腹の弟・信行を殺し、妻の実家・斎藤家を滅ぼしてその国を奪

ったではござらんか。いかに彼が残忍刻薄であるかおわかりであろう。また喜怒定まりなく、昨日までたたえた

家臣も今日は殺害されること往々にしてあるため、譜代恩顧の家臣らも一日として安き心でいることが出来ない。

貴殿らは新村でありながら、何を頼みにして織田家に従っておられるぞ」

といったように説き続けた。

信長は確かにそういうところがあり、人の心を安心させないものがあったのです。

豪族らは心を動かして、毛利家に心を寄せるものが多くなっていったという。


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いつもありがとうございます。


sakura 20140216


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:二様の石垣
熊本城の石垣は全て「打ち込みハギ」という工法で積まれています。
写真の石垣は二様の石垣は、同じ打ち込みハギでも隅石(石垣の角)の積み方に違いがあり、傾斜の緩い方は同じような大きさの隅石を使っており、築城初期のものといわれ、傾斜が急な外側の石垣は、長方体の石の長辺と短辺を交互に組み合わせることにより、より急な角度を出すことができる「算木積み(さんぎづみ)」という工法が開発された後のものです。

≪本日の問題≫


                                      <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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