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【加藤清正】 その39

『清正の忠義心』

清正は豊臣家に対する恩義はいささかも忘れはしないが、家の安泰ということにも神経質なまでに気を配って

いる。

江戸に広大な邸宅を営んだというのもそれです。

諸大名が江戸に広大豪華な邸宅を営むことは、徳川家に対していつまでも奉公しようとの心の表れと見て、徳

川家は喜んだので諸大名はみな邸宅経営を競ったが、清正の邸宅の見事さは当時の人々を驚かしたという。

彼の屋敷は三宅坂の現最高裁のところにあったが、玄関から表の間は全部金箔で、外周りの総長屋の軒周り

の丸瓦には金の桔梗の紋所が打ってあり、夜中でも光って見えたという。

清正の井戸(明治神宮)
me.明治神宮 006

また、その門は矢倉門で桁行10間余りあり、子馬ほど虎(サイとも)5匹の彫り物されて金が塗ってあったが、

それが朝日に輝いて品川沖に反射して、漁が恐れて近づかず漁師が困ったという。

名古屋城を家康が営んだ時、家康はこれを外様大名の手伝い普請にした。当時やたらに城の手伝い普請が

多かったので、直情径行の福島正則は、池田輝政が家康の娘婿であるので、不平を言った。

「こう毎年お手伝いを仰せつけられては、費用も労力も、かなわん。おとこは大御所の婿じゃ、ちと申し上げ欲

しいの」

清正はヒゲをかきなでながら、正則をたしなめた。

「これこれ、気をつけて口をきけい。そんなにお手伝いが嫌なら、国に帰って謀反の企てでもするがよいぞ」

正則はハッとして口をつぐんだという。

清正が特に申し出てこの城の天守閣を一手請負にしているのも、石引き上の巨石に自ら伊達な装束をし、片鎌

槍を杖づいて立ち、花のように着飾らした美少年を左右に数人並び立たせ、大音声に木やりを唄って引かせた

ので、人々が群集して市のように賑わったというのも、皆その狙いは一つ、徳川家の機嫌を取るためであった。


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pig 20140221

『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:豊臣秀頼を匿うため
熊本城本丸御殿の「昭君之間」は、豊臣家の有事に際し秀吉の子秀頼を密かに匿うために造られた部屋であるといわれ、表面上は天下人の徳川家康に恭順しながらも、秀吉への恩を忘れない清正の忠義を示しているのでしょう。
実際は藩主の居間に使われていたようです。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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