【加藤清正】 その40

『清正の幸福』

誠実な清正は、勢い日に衰えて行く豊臣家に対する憂慮と、自分の家の安泰を望む気持ちの間に、苦しみ悩む

ことが一方ではなかったのでしょう。

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正

彼が江戸への往来の船中で論語を読みながら朱点を加えていることを、清正が可愛がって飼っていた猿が見て

いたが、彼が厠(かわや)に行った間に、主人の真似をして書上に縦横に朱の線を引いていたところに、清正が

帰って来てニコリと笑い

「おお、おお、そちも聖人の教えが知りたいのか」

と言って、頭を撫でたという話は有名ですが、論語を読む気を起こしたのは、悩みに対する解決を求めたため

なのでしょう。

儒教のことは良く判りませんが、激烈果断を儒教の教えは嫌うといい、二律背反的な条件があれば、そのいず

れにも偏しない中庸中正の道のあることを教えるのが儒教だそうです。

彼はそれを知って論語を愛読するようになったのだと思います。

しかしながら、大坂の役の時まで清正が生きていたらどうであったのでしょう。

清正が健在であれば、家康もあのような辛辣無残な言いがかりによって戦争を始めるようなことは先ずなかっ

たとも思われるし、事情が切迫する前に、何か適当な方法を豊臣家のために講じたであろうとも思われますが、

それでも家康が無理を押し切ったとすれば、清正の悩みは、もう論語ではどうにもならなかったのでしょう。

大坂の役に先立つこと3年にして死んだことは、清正の幸福であったことは間違いないことでしょう。



長い間、加藤清正にお付き合いを戴きましたが、次回が最終回になります。


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いつもありがとうございます。


sakura 20140302


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:浅井氏
1573年、羽柴秀吉(豊臣秀吉)は浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領して長浜城を造営しています。
小谷城で使われていた資材や、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城したといわれます。

≪本日の問題≫


                                      <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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