【知将か表裏比興の者か真田昌幸】 その5

『岩櫃城主を追い出す』

勝頼の積極策の一環として、昌幸は上州方面の計略を受け持たされた。

家を相続した後、昌幸は小県郡の真田郷にいたが、鳥居峠を隔てた上州吾妻郡の羽尾(羽根尾)に、その頃

一族である羽尾幸光・輝幸兄弟がいた。

この兄弟は久しく武田家に仕えていたが、老年になって仕えを辞し、羽尾に帰っていた。

兄弟とも武勇に優れていたが、特に兄の幸光は70歳に近かったが、力100人に敵し、強弓をひき、荒馬に乗

り、新当流(塚原卜伝が創めた兵法)の兵法に達した勇士であったという。

真田郷 (pigletも訪れた真田氏発祥の地は「こちら」です。)
sa.真田の里

羽尾から利根川の支流吾妻川に沿って下ると岩櫃(今の郷原)がある。ここには岩櫃城があって、越後の上杉

家に属し斎藤摂津守が城代となっていた。

この斎藤が幸光の武勇を慕って交際を求めてきた。

斎藤としては、戦国の世のこと、幸光ほどの人物と交際を結んでいれば、まさかの場合に力になって貰えると思

ってのことなのでしょう。

幸光も悪い気持ではない。

親しく往来しているうちに、斎藤は次第に幸光に打ち込んで、ついには自分の城内に幸光のために住宅を営ん

で、ここに住まわせるようにした。

兵法の弟子入りをしたのでしょう。

ところが、人の心は計れないものです。幸光は斎藤を追い出して岩櫃城を奪ってしまったのです。

方法はいたって簡単であった。

1576年正月2日の祝儀の席上、突然、幸光は

「拙者近頃よき刀を手に入れた。ごらんあれ」

と言って刀を抜き、恐ろしい顔をして斎藤をにらみつけた。

今にも斬ってかかりそうな形相だ。

斎藤は驚き、恐れて、震え上がり、早々に席を立ったばかりか、城の裏門から飛び出して、越後に向って逃げ去

った。

信じられないような話ですが、史実のようです。

上田史などによると、これは真田昌幸が幸光兄弟に策を授けて実行させたという。

この後、幸光兄弟は武田勝頼から岩櫃城主に任ぜられています。



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sakura 20140312


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:新府城
武田勝頼は、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に武田方が敗北した後、領国支配を強化するため、1581年に家臣の真田昌幸に新府城の普請を命じています。

≪本日の問題≫


                                      <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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